生きます|中島梓織【交互浴をするように】
こんばんは、おぺです。
ご無沙汰しております。
一か月前のことになりますが、いいへんじ二本立て公演『器』/『薬をもらいにいく薬』、無事に終演いたしました。
関係者のみなさま、ご観劇いただいたみなさま、ご検討いただいたみなさま、劇場以外の場所から応援していてくださったみなさま、「稽古中でして」「公演中でして」とあっぷあっぷしていたわたしを待っていてくださったみなさま、などなどなど、ほんとうにたくさんのみなさまに、終演してしばらくったったいまでも、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
企画段階から数えると約一年、稽古開始から数えると約半年、この公演のことばかり、そして、この公演のテーマだった「死にたみ」のことばかりを考えていた毎日でした。『器』は2020年、『薬をもらいにいく薬』は2021年、最初の一歩を踏み出した日は遥か昔のことのようです。劇場では、そのときには想像できなかったような景色をいくつも見ることができて、幸せな毎日でした。
『器』について
死にた(くなるくらいつら)い気持ちに「死にたみ」という名前を付けて、自分から離して考えることはできないだろうか、というところからこの作品は生まれました。そして、書いていくうちに、自分の中にある「わからない」ということに対する不安や恐怖に気づき、こいつに徹底的に向き合おうと覚悟を決めて、今回の上演に向けての稽古に臨みました。
が、当たり前のことですが、希死念慮や不安や恐怖を、自分から完全に切り離すことなんてできませんでした。(それができたらわたしは演劇をやめると思います。)
でも、自分のわけのわからなさも、他者のわけのわからなさも、わかろうとする時間と空間があったこと、いろんな角度から一緒に考えたり話したりしてくれたひとたちがいたこと、ずっと苦しかったけどずっと救われていたし、これからの自分のことも助けてくれると思います。わけがわからなくて死にたくなったとき、思い出したくなる作品ができたと思っていますし、全員でなくてもいいから、だれかひとりにとってでもそうであったらいいなと思っています。
稽古終盤にはTwitterで稽古の記録をつけていて、そこでも何度も言及していたのですが、『器』チームの出演者のみなさんは(わたしもちょっと困っちゃうくらい)毎回新しいことを試してくれていたし、毎回相手と関わり合うことをあきらめないでいてくれました。逃げ出したくなるような苦しいシーンも、ちょっとだけ希望が差し込むシーンも、どのシーンも全員がばらばらでありながら一緒につくることができたと思っています。ずっとずっと心強かったです。ありがとう。
『薬をもらいにいく薬』について
『器』では、「死にたみ」との衝撃の出会い、つまり、過去のことについて書いたので、『薬をもらいにいく薬』では、「死にたみ」が存在することが当たり前になってしまった現在について書こうと執筆を始めました。その状態ありきで、どうやって自分や他者や社会と付き合っていくのか模索をして、とりあえず自分なりの回答を出せたらいいかな、くらいに考えていたのです。
が、昨年からの加筆、そこからさらに何回かの改稿を経て、こうであってほしい、こうであるべきだ、という未来についても、ちょっとだけ手を伸ばせたのではないかと思っています。
『薬をもらいにいく薬』の登場人物たちは思ったこと考えたことをとにかく全部言葉にします。いっぱい話すしいっぱい聞く。それは、自分が生き延びたいからだし、目の前の相手とほんとうの意味で手をつなぎたいからです。その言動や展開が「きれいすぎる」「やさしすぎる」と感じた方もいらっしゃると思いますが、それでもわたしは、これが当たり前のことになるまで「やさしい」演劇を作り続けたいです。「やさしい」演劇に対する様々な声が、そのときの社会のありようを示してくれるのだろうし、そのときの社会のありように向き合ってまたわたしは作品をつくります。今回の上演で、それを繰り返すことの決意ができました。
『薬をもらいにいく薬』チームの出演者のみなさんは、力が抜けているのにひとつひとつのアクションが誠実で的確で、たくさんのことをおまかせしてしまいました。暖かさも冷たさも、賑やかさも静けさも、この五人だったからつくることができた空気だったと思うし、この作品に登場するみんなのいろんな声や表情を知れたことがずっとずっとうれしかったです。ありがとう。
これからのこと
稽古が始まるか始まらないかの時期のわたしは、公演が終わったら「演劇をお休みする」と言っていました。実際に公演が終わったいま、「演劇の公演を打つことをお休みする」と言い直させてください。
というのも、公演が終わったいまも、結局、演劇活動はしちゃっているからです。ワークショップの仕事、ワークインプログレスの参加、そして、もうすぐ稽古が始まる現場もあります。「演劇」と一言で言っても、活動の形はいろいろのはずなのに、そのときの自分は「戯曲を書いて演出をして公演を打つこと」=「演劇」だと思ってしまっていたようです。
もちろん、お休みすると言ったのは心身の不調が主な理由なので、無理はしない無理はしないと自分に言い聞かせながらですが、やっぱりわたしは演劇をしていたいようなので、自分の欲望に正直に、いまできる「演劇」をしていたいと思います。
公演を打つことをお休みする理由はシンプルで、主宰業・劇作業・演出業を同時に兼任することの難しさが、無茶をするだけでは乗り切れないレベルになってきたからです。でも、それぞれの仕事は続けたいし、いいへんじも続けたい。じゃあどうしたらいいのか、それを考えたり話したりするのに時間を費やしたい。続けることを目標としているいいへんじであればなおさら、そこをないがしろにしたくないと思っているので、少しだけ時間をください。どうかよろしくお願いします。
一か月前のわたしは「この公演が終わっちゃったらどうなっちゃうんだろう、ということばかりがずっと不安」ということを書いていましたが、お茶をしたり、お酒を飲んだり、二か月ぶりにカウンセリングに行ったり、二か月ぶりに推しのライブに行ったり、家事をしたり、アルバイトを探したり、やっぱりちょっと体調を崩したり、選挙について発信したり、みんなで高尾山に登ったり(!)しながら、おかげさまで、思っていたより落ち込まずに日々を過ごしています。
「死にたみ」についてたくさん考えて、実際に死にた(いくらいつら)い気持ちになったこともあったけど、何周も何周も回って、やっぱり生きたいという気持ちです。重ねてになりますが、様々な形でこの公演に関わってくださったみなさんのおかげです。ほんとうにほんとうにありがとうございました。
先ほど書いたように、いいへんじとしての次回公演がいつになるのかはわからないのですが、とりあえず生きてみて(そのための「演劇」をしながら)、そのときを自分自身が一番楽しみに待っていようと思います。
また必ず!
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