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【Reasons100】チャレンジ006「花」

自分の中にある様々な事柄に対して
その「理由」【Reasons】を、以前のブログで書いていました。

当時の記事をこちらのnoteに移していって、
そのReasonsに対する、今の自分の感覚も残してみようと思います。

(2016年9月6日)

こんばんは、コトノハカウンセラーの
いのうえ いほこ です。

【Reasons100】チャレンジ
わたしの「なぜなら」を、ただ書いていくだけの
このチャレンジ。

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【Reasons100】チャレンジ006

「花」が好き

なぜなら…
「なんでか惹かれる」から
(ここのところ、ちゃんとした理由になっていませんが…)

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幼い頃から庭に咲いている花や
道端、田んぼに咲いている花が好きでした。

なぜこんな形なんだろう?
どうしてこういう名前になった?
いつ頃まで咲くのか?

わたしにとって「花」は、遊び道具であるとともに知的好奇心を満たすものだったのです。

「花日記」というノートを作って、
その辺にある花をスケッチし、
家にある事典をひいて、その花の詳細を調べノートに写す。
そういうことが大好きで、熱中していました。

大きくなるにつれ、お花屋さんで売っているような花も「きれいだなー」と思うようになったのですが、「花」と聞いてまず頭に思い浮かぶのは
幼い頃に遊んだ野の花たちなのです。


花、いいですね。

好きな気持ちは幼い頃からずっとそのままなのですが、「花が好き」という気持ちを外に出すとき、なんとなく少しのチクリとした痛みを感じていることに、いつからか気づくようになりました。

ちょっと斜めから物事を見たいと思っていた時期があって、「花が好き」って、「趣味が読書」くらいにありきたりだから、ということかと思っていたのです。

しかし、どうやらそれだけではないぞ。と思い始めました。

別のnote記事で書いたかもしれないのですが、それは妹が「花が好き」ということに関連しているようです。

妹が好きなものを「わたしは無邪気に好きと言ってはいけない」と、いつの間にかどこかで制約をかけていました。

それでも好きなものは好きです。
抑えられるものではありません。
だけど無意識で鎖に繋いでいる気持ちだったから、外に出そうとすると痛みを感じるのです。

なぜそのように感じるのか、ということも何となく理解して、それからのわたしは「痛み」を感じながらも、それを上回る「好き」を外に出すようになりました。
「痛み」はここにある、と感じながら「花が好き」を表現するとき、どういう花が好きで、どういう状態で見ることが好きでといった、より細かい「わたしの」好きがわかるようになってきました。

それは「これこそが自分の”好き”だ」ということに、少し近づいたことだったのかもしれません。

この2016年の記事では、そういった痛みを感じながらも「こういう理由で”好き”なんだ」ということを、割と素直に書いていたような気がします。


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