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タイ人だから?家族の形式<自分の幸せ

日本人は何となく「他人を巻き込む責任」を重んじているような気がする。

夫婦や家族になったら、衣・食・住、全てにおいて「家族の形式」が優先されていると思う。

例えば
パートナーと出かける場所のTPOに合わせて洋服を選ぶ
家族が一つの食卓について同時に食事をする
リビングでくつろいでダイニングで食事をして寝室で寝る

こんな当たり前のことが、私の家では全然当たり前じゃない。

どこに誰と行こうと自分の好きな服を着て出かける
家族それぞれ好きな時間に好きなタイミングで一人で食事をする
ダイニングでくつろいで庭で食事をしてリビングで寝てもいい

それでも家族、それでも夫婦、それでも親子
本人が幸せなのだから邪魔しない
そういうスタンスで生きている。

最初は衝撃的で、個人の自由が尊重されていて良いなとも思ったけれど、いざ当事者になってみると、これがなかなか奥が深い。

独身で日本にいるときより、結婚後の方が個人の自由や幸せが尊重されてしまっているんだもの。

私は嫁いできた身で、母親でもあるけれど、家族からのプレッシャーで「家事をしなければ」と思ったことがない。

でも独身でいるときよりも、よほど家事能力がアップした。

家が汚れたら掃除、洗濯ものが溜まったら洗濯、食べるものは作ったり買ってきたり。

誰かのために「やらなければ」と思わなくなって、自分が過ごしやすい環境を整えているだけで、随分と身の回りが快適になった。

まあそれも良いことばかりじゃない。

ある日、夫が相談もなく仕事を辞めてきても「お、おう、そうかそうか」くらいのテンションで受け止め、彼の幸せの方向性を確認する必要があるし

4年半前、義理の父がガンになって「自分で治療方針を決める」と言ったときも、誰一人反対せず、進行度合いについても聞かず、本人の意思を尊重して日々を過ごした。

受け止めるパワーが凄まじいし、相手をダメにしない匙加減で向き合う必要がある。

何より、日本的家族像を夢見てタイ人と結婚したら、「私もしかして必要とされてない?」ってくらい、タイ人からしたらどうでもいい(うっかりするとおせっかい)なことが多すぎる。

でもって今も、柔軟かつ芯の強い人であろう!みたいに思ってるけど、それすら「キットマーク(考えすぎ)」らしい。

他人を巻き込んで
自分も巻き込まれて
濁流に飲まれても責任の重みで沈まず
マイペンライの浮き輪に乗って流されていく
それがタイ人なのかもしれない。



noteには不定期でタイでの国際結婚について思いついたことを垂れ流しています。

ブログにはタイでの実用系情報などをまとめているので、そちらもよろしくお願いします。


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