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レビュー:本当の私よ こんにちは

2020年にFAP療法の本が出版されたときに投稿したAmazonのレビューです。
・本の感想
・初めて統合を体験したときのこと
・考察
について書いています。

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記憶と感情の統合

私はFAP療法を受けながら、自分に起きる変化を不思議に感じつつ、その不思議さを楽しんでいるところもありましたが、いつかはその仕組みや成り立ちについて学びたいと願っていました。
今回この本を読み、私もついにFAPを使う側に一歩踏み出せたことをとても嬉しく感じています。
 
この本を読んで改めて感じたことは、現実を生きる生きづらさの中に、整理できていない感情による苦しみがどれほど多くあるかということです。
自分では認識できていない心の傷によって、似たような場面に遭遇したときに蘇る強烈な感情は、現実に起きていることとは釣り合わないので、周りの人にはわかってもらえず、自分だけで苦しむことになってしまう。
わかってもらえないことによる怒りも積み重なりながら、整理できない感情は複雑に膨らんでいくように感じていました。
それらの感情が頭から離れず、現実の時間が奪われ、そのことに怒りを感じ、そこから抜け出せない自分を責めるという苦しみのループにはまる落とし穴は、現実の至る所に散りばめられている。
それをなんとかして回避したいと思えば、行動範囲を小さく制限するしかない。
そうやって私の世界はどんどん小さくなっていったように思います。
 
この本の中の実践FAPの手順に沿って、ある場面のフラッシュバックをターゲットにやってみました。
パターン表に沿って指を押さえて一通りの手順を終えると、もう何年もの間、同じ場面が時間が止まったまま繰り返しフラッシュバックしていたものが、時間が動き出したように、その後の自分が感じていたことへ場面が動き出しました。
とても興味深く、またその場面に注目して、パターン表に沿って手順を繰り返す・・・ということを何度かやってみると、その出来事が全体像として薄められたような、そんなこともあったな、という、時間経過に見合う印象の薄さにまで影響が小さくなっているのを感じられました。
 
こんな風に、今まで自分で対処できなかった感情に対して、自分で整理できるようになるのは、とても大きなことだと感じています。
どんどん小さくなっていた私の世界が、これからはどんどん広がっていく。
そんな予感がします。
 
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ここからは、私がFAP療法を受けた体験とその中で不思議に感じていたことを、この本を読んで謎が解けたことを書いてみます。
 
FAP療法に出会う前の私は、自分の苦しみを誰にも説明できなくて苦しんでいました。
自分でも なぜ生きるのがどうしようもなく苦しくて、密かに死に憧れているのか、わからない状態でした。
 
自分が話す言葉は、全部嘘のように感じて、何も話せなくなっていました。
普通の人が言いそうな言葉を真似したり、想像したりしながら、普通に見えるように一生懸命に振舞う日々。
それらの言葉は、現実をなぞるだけで、私とは何も繋がっていない。
私が話す言葉は、誰かの言葉の断片をつなぎ合わせたものでしかなかった。
自分は何かがおかしいと確信がありながらも、それを人に説明できないから、病院にもカウンセリングにも行けない状態でした。
 
自分で自分を治そうとしてカウンセラーの勉強をしたときも、得体の知れない恐怖が膨らむばかりで勉強は続けられず、途方に暮れている時に、知人からFAP療法のことを教えてもらいました。
 
自分のことを何も語れなくても治療をしてもらえる、と。
そのことが、私にとって大きな希望になりました。
 
FAP療法の初回面接で自分について話せたことは、「高2から鬱で・・・」という言葉だけでした。
鬱と言っても自分でそう思っているだけで、誰にも言ったことがないことでした。
その先の言葉が続かず、なぜか代わりに涙がボロボロと流れ出しました。
幼少期から人前で泣くことがなかった私が、初対面の人の前で突然に涙を流している!?
そしてなぜか、安堵している!?
その感覚が不思議でした。
 
死に直面する体験をしたことがあるか?
例えば、交通事故、誰かが死ぬところを見た、暴力、虐待、性被害・・・と質問されても、全く思い当たることがなく、なぜそんなことを聞かれるのかキョトン?としていました。
私のようなありふれた家庭で育った人間には無縁なことだと思いました。
 
私の苦しみについて何も質問されなかったことに安堵して、私はFAP療法を受けてみることにしました。
 
以降も私は何も語らなくてよくて、治療は淡々と進みました。
先生が何をしているのか理解はできないけれど、治療中の身体の感覚の変化、治療後に身体と心が軽く楽になる、そのことから、何かが起きていることはわかりました。
そして、それは私を明るい気持ちにさせてくれて、この感覚がある限り私は大丈夫、そう感じていました。
 
ある日の治療中、身体の反応がいつもと何か違う、両腕が身体を抱きしめ、身体を守るように縮こまり、身体に物凄い力が入り、爪が腕に食い込み、その痛みで何かを紛らわせているようでした。脳裏には、断片的な映像がチラチラと浮かんでは消え、やがて映像として流れ出したとき、今まで堰き止めていた巨大な感情の波のようなものがどっと溢れだしました。
その衝撃的な映像と大きな感情の波に圧倒されながらも、もうこれらを堰き止めておかなくていいという安堵を感じながら、しばらく感情と涙が流れるままにしていると、これが私に起きたことだという静かな実感が湧いてきました。
 
ありふれた家庭に育ったという意識によって信じ込まされてきた現実には、全く当てはまらない巨大な苦しみの感情に私はずっと苦しんでいた。
行き場がなかった感情が、ようやく記憶と結びついて静かに収まる場所を見つけられた。
 
これが私が初めて、記憶と感情の統合を体験した時のことです。
 
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今回、この本を読んで長年の謎が解けたと感じたのは、なぜ全く記憶がなくても治療が可能だったのか?ということです。
 
私は当初、得体の知れない恐怖と苦しみを抱えていて、それを言葉にすることができなかった。
先生は、中指ビンゴを使って仮説を立てて、それに沿って治療をしていたから、私は何も語らなくてもよかったのではないか。
そして、その仮説は、私の記憶と感情が統合されることによって、証明されたのではないかということです。
 
そして、毎回、身体が軽く楽になるとともに、なぜ私の苦しみに触れてもらえていると感じられたのか?
それは、パターン検索によって負の感情を特定して、取り除くことをしてもらっていたからではないかということです。
 
私が、得体の知れない苦しみ としか感じられなかったことの中には、様々な複雑な感情がバラバラに散らばっていたのではないかと思います。
その一つ一つを自分で感じて、当てはまる言葉を見つけて自分で語り、聞いてもらって、共感してもらうことで癒される、ということを想像すると、自分の言葉を失っていた当時の私にそれは不可能だったと思います。
 
完全に自分の言葉をなくしていたところからスタートして、今、こうして本当の想いを言葉で表現できるようになった私がここにいます。
 
この本を通して、FAP療法の奥深さ、面白さに改めて触れることができ、深く感謝しています。
大切に使わせていただきます。ありがとうございます。



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