見出し画像

【土曜:BPの話②】BPにたどり着くまで

*はじめに*
以下の記述はあくまで「私の場合」であり、すべての方に当てはまるものではありません。
また、症状等について記載する内容も、あくまで私がかかる病院(一応、学会では取り上げられているそうですが)が採用している説である旨ご了承ください。

こんにちは、アスカです。
土曜日はBPのお話です。

前回は、BPとは何ぞや? というお話をしました。

そちらでも触れましたが、私は適応障害→新型うつ病と診断されて投薬治療を受けていましたが、現在はBPⅡ型と診断されて生活しているとちらりと書きました。

今日は、BPⅡと診断されるまでのお話を書こうと思います。
文字ばかり、かつちょっと重たい話になるかもしれません。

<発症はありがちなやつ>

私は休職を二回しておりまして、
一回目は本当に動けない状態になっていました。
思い出すとその一年ほど前からずーっと不安感が渦巻いていて不安定だったのですが、
急に仕事が忙しくなり一気に崩れました。

ウイルス性腸炎になったりとか、それが治ってもどうにも体が思うように動かないとか食欲ないのに吐き気がすごいとか、とにかく先に物理的に身体に来てた記憶があります。

いよいよ会社に行けなくなって、どうしたらいいかわからずとりあえず近くの病院に行きました。
簡単な検査を受けたらうつ病っぽい症状があると言われ薬を処方され、
それを上司に報告すると会社の保健センターに行けと言われたのでそうしたら、「適応障害」のためひとまず休職との判断が下されました。

そもそも働けない状態だったし(頭が水のたまったゴムまりみたいな感覚だった記憶があります)、そこまで仕事に燃える人間ではなかったので、
この時は心底安心しました。

同僚には大変なご迷惑を掛けてしまったのですが。

<いつの間にか病名が変わってた>

ひとまず一週間くらいは会社に行くな、連絡も取るなと言われて、
その後のことはもうあまり覚えていませんが、
いつの間にか長期休職に入っていました。

その間に、いつの間にかカルテの病名は「新型うつ病」なるものに変わっていました。
その病名は私を苦しめこそすれ、楽にはしませんでした。

その状態で約2年休んで復帰しましたが、
正直、期間前半の1年間の記憶がまったくありません。
私は実家で療養していたので、その2年間を見ていた家族が言うには、
「ずっと寝ていた」のだそうです。

残っている最も古い記憶は、
ある日突然ご飯が食べられるようになった夜。
これもまた家族が言うには、その頃やっと一緒に出かけられるようになった、とのこと。

うーん、そうだったのか…と首をひねるばかりです。

<復帰してからが地獄だった>

で、めでたく職場復帰したからよかったねで話が終わるなら、そんなに素敵なことはありません。

振り返るにここからが地獄でした。
結果として間違った薬を服用していたので、症状はよくなるどころか悪化していたのだと思います。

いちおう社会生活はそれなりに営めていましたが、
相変わらず頭は水のたまったゴムまりみたいだし、
まるで地面から引っ張られるみたいに体が重たいし、
夜は21時までもたずに寝てしまうのに翌日も起きられないしで、
これはもう何とか人間の形を保っていたレベルの惨状。

その間も、良くならないのは自分がダメなせいだとしか考えられず、何もかもが悪循環でした。
部屋の中からベランダを眺めて「あそこから飛んだら全部終わらせられるのかな」と思ったこともあります。
でも、かえって、「それはいつでもできるからもう少し続けてみよう」と思ったりもしたのです。
その程度にはまだ救いがあったのだと思います。

そもそも休職しても辞めずに復職したのが、
「ここで辞めたら私のことを何も知らない連中が私のことを好き勝手に言うんだ。それは我慢できない」という気持ちがあったからで、
そういうまっっったくかわいげのないところが功を奏したということかなと思います。

結果として生きてるなら別に何でもいいと思います、いまは。

<5年くらい地獄で漂って>

そんなこんなで復職して5年くらい経ちました。
薬は減らんし、副作用もあって体重は激増して鏡を見るのも嫌になる一方で普通に働けないから収入は激減するし、頭はやっぱり水のたまったゴムまりだしで何の希望も見えないまま、何の評価にもならないような仕事をしていました。

会社に置いてくれているだけありがたいと思えと言われればその通りです。
ただ自分としては頑張っていても、健康で元気な人のパフォーマンスと比較されると何もできてないも同然なわけですから、自己評価も地に落ちます。
もはや感情もわいて来なくなっていました。
生きてると言うか死んでないだけだな、と思う日々。

余談ですが、当時職場で撮った写真を見返したらどれもまぁひっどい顔をしていたので、先日全部シュレッダーにかけました(笑)

そしてある時、ぼんやりと、「あと5年どうにもならなかったら全部終わりにしよう」と思ったのです。
日本の女性の寿命は世界一だし、私の家系は女性が長生きしがちで(笑)
あと何十年もこんな生活が続くなら、もういいやって本気で思ってしまったのでした。

<やっといまの主治医に巡り合う>

そんな時に、とあるお医者さんに出会いました。

とにかく処方されていた薬を信用していなかった私は、
「極力薬(この場合は合成薬)を使わない治療」を掲げるその先生に、一度とりあえず診てもらおうとだけ思っていたんです。

これがまた奇妙な診察でした。
過去の過去まで掘り下げるような大量の問診票を事前に書かされるわ、初回から「親を連れて来い」と言われるわ、
実際の診察は2~3時間くらいかかるわ。

これはあくまでこの医師のスタンスですが、
うつ病とBPを見分けるポイントは、「これまでの人生に躁状態・抑うつ状態があったか」だったようで、
それを探るための問診票だったのでした。

前回の記事にも書いた通り、
抑うつ状態でしか病院には行きませんので、
その状態を「点」で見るとうつ病になります。
しかし、「線」でこれまでの状態を確認することで、
「果たして本当にうつ病なのか」を判断することができる。
あくまで私のこの医師のやり方であることをお断りしておきます。)

セカンドオピニオンとして、「BPⅡ型」を提示されました。
これを診断として受け入れるなら、
医師の指導に従って休職し、治療プログラムを受けなさいと。

いきなりこんなこと言われたら怪しいなって思いませんか?(笑)
精神的に追い詰められていても、さすがにちょっと「え?」ってなりました。
洗脳されるんじゃないか、不安につけこんで法外な治療費請求してくるんじゃないかとか。

でも、公的支援制度を使えるちゃんとした? 治療だという説明を受け、
職場とも相談して、二度目の休職とあいなりました。
薬もそれまでとまったく別のものになりました。

8か月後に復帰し、そこからも山谷ありましたが休職はすることなく、何とか働き続けています。
頭からも水は抜けて(笑)、
いまは出張もあるお仕事をしています。

ここに至るまで長かったなぁ、と思える程度のところに来られたのかなぁ…と最近やっと思っているところです。

<BPⅡという診断を受け入れて>

他人さまから見たら気休めかもしれないし、何が正しいかなんてわからないけれど、
BPⅡという診断を受け入れて、
「自分のメンタルが弱いからだ」とか「根性なしだからだ」とかいう「自責」の問題から解放されたのは嬉しかったです。

生まれつきの体質なら、それをどうにかカバーしながら生きていけば…という考え方にできるなら、気持ちもだいぶ変わります。
それでも、「普通の人」のように生きられないのはしんどい時もありますが。。

それにしても、私はやっぱりかわいくなくて、根のところで楽観的なのだろうと思います。まともな神経じゃないのでしょう。
だからぬけぬけと生きてこられた。
たくさんの方にご迷惑をかけておいてぬけぬけと生きているなんて、たぶん無神経じゃないと耐えられない。
空気の読めないバカでよかったなとこればかりは思います。

世の中では死ぬのは悪いことだとされているので、
法に触れるようなことはせず生きてるんだから少なくともそこだけは評価していいのかなぁ、なんて…。


さて次回は、BPⅡ型とどう付き合っているかみたいなことを書けたらいいかな~とぼんやり思っています。

重たい話でしたが、本日もお読みいただきありがとうございました。

2023年5月13日
アスカ

#asuka_14
#毎週土曜はBPの話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?