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つぶやきたいというよりも

はじめまして、Norieです。
自己紹介で言うことの代表を言っていくと、アメリカ西海岸在住、
約10年。既婚、子ども2人。
普段はインテグレイテッドヒーリング(IH)というキネシオロジーを基にした潜在意識のヒーリングをしています。
しかし「ヒーラーです」というのもなんだか、というような私。

noteは読者だったけど、何年も下書きで投稿していない記事がそのまま。
というような状態だったのですが、最近時々どこかに、今
生活しているそのまんまを、キラキラでもなく、インスタ映えでもない。
それでも毎日思ったことを誰かと共有したいなーって。

その相手は一般的には「家族」だったりすると思うのですが、
子ども2人は大学生でそれぞれ離れて暮らしています。
アメリカの西海岸は日本人が住んでいるエリアだけど、日本のように
「ご近所さん」に友人はいない。
そう、私はどうでもいい井戸端会議をしてみたいのかも。

考えてみると私の中でface bookは離れて暮らす友人との近況報告用となり、
慣れないまま使っているinstagramは家族用、スピリチュアルな情報交換や発信用、という感じでなんとなく投稿用途が別れてきて、
旧ツィッター(X)は、なんだか怖い、いや誰もみていないんだろうけども。戦場感が漂っている。そういう私の偏見たっぷりの気持ちで行くと
noteは優しい気がする。
世の中の片隅で、どうでもいい日記を書いて載せていても
なぜだか優しく受け入れて気がする。

そんな妄想を膨らませて、
現在、猛烈な風邪を引き、自室に隔離生活をしている
暇の勢いに任せて書いております。

私は40代も後半に入ったところなのですが、
子どもの頃から最近まで、「身体が丈夫」というのが自分の唯一にして
最大の取り柄だと思っていました。子どもの頃にしたって、
怪我はゼロ、高熱を出して寝込んだことなど1、2回くらいだったような。
「健康」という、ものすごい幸せを享受していたのに、
あまり感謝することなく、むしろそんな親やご先祖さまからいただいた
宝をないがしろにして、辛抱強く支えてくれる身体を試すかのように
ずっと無理させたり痛めつけてみたり、していたような。
あー、今までごめんなさい。

昔、ある方から「40代くらいに入ると自分の普段の体への態度が
ダイレクトに出てくるよ」と言われました。先祖や親から頂いた、
健康に関する遺伝子貯金?的なものを使い果たす時期なのかな。
とても、とても思い当りすぎます。
たぶん、貯金はもうない。
今からは本当に自分の体を自分で愛でて、大事にしていく。
若い頃からできている方を心底尊敬します。
私も遅まきながら自分のこの身体を大事にして行こう。
そう思いました。

こうして呼吸ができることに感謝
(今でも咳がひどくてままならないだけに!)
普通の日常生活ができるってだけで、それは
たくさんの奇跡が重なってるんだな。
元気になって、日常に流れるようになってからも
忘れないように。
今日はそのことを書いておこう。
ありがとうございました。



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