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② コントラストが違うだけ


そりゃそうだを繰り返し、
自分を塗り固め、
沢山の作り物を着込んで
生きていこうとしたら
心が崩壊

やさぐれの20代前半
同時進行で
低空飛行ながら
社会生活を続ける
出会い、結婚

子どもの頃に希薄だった
わかりやすい形の安心、
安全、信頼、
こどもからの無条件の愛

「え?これが??」
「こんな世界もあったんか」
という未知の経験ができた

自分の未消化の傷は
抱えていたけれど
伴侶や家族を得たことは
それまでの人生最大の
ギフトみたいに感じた

消えないように
壊れないように
大事すぎて
逆に扱いに困った

何が正解なのか分からない
何が「普通」なのか
経験が無いから分からない
「家庭」というものや
「子育て」を
今度は手探りで格闘

そうこうしているうちに
あっという間に
子どもが巣立った

震災や引越し
いろんな出来事はあったけど
家族と体験した全部
私の魂にとっては救いで
癒しで、感謝しかない

時間が経つほどに
母親のような役の
物理的な必要性がなくなり
自然と、自分自身について
考えるようになると

「役割」が
何かをうやむやにする
「大義名分」でもあったから
また生まれ直し

流れは
よくできているもので
この数年
生まれ直すような体験
出会いや学びがあって
今ここにいる

先のことは分からない
現実的な確かなものは無いけれど
大丈夫なことだけわかる
分からないけど
それが楽しい

今までの事も愛おしいし
これからのことも
楽しみだ

生まれてよかった
というか 

生まれて生きてくって
ほんとに
愛しかないことだね

どんなコントラストの体験も
これからも
そうでしかないんだろうな

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