見出し画像

ヴィム・ヴェンダース「東京画(Tokyo-Ga)」

2021年12月13日(月) 晴れ
北鎌倉円覚寺。正方形のような背の低い墓石には一文字、「無」と刻まれている。映画監督・小津安二郎のお墓だ。昨日、12月12日は彼の命日だった。1963年、享年60歳。

俺がこの場所に初めて来たのは2020年の4月のことだ。2月頃から咳がずっと続いていたし、世間では感染症が蔓延し始めていたこともあって、俺は精神的にすっかり混乱していた。その日も有休を使って仕事を休んで、少しでも気分を晴らしたいと思って鎌倉に行くことにしたのだった。ちょうど桜が咲いていて、例年ならうんざりするくらいの人間が集まっているはずの季節なのに、観光客のいない鎌倉はあまりに静かだった。タイムスリップしたみたいな、まるで1000年前から変わっていないかのような不思議な光景。

2019年の2月に祖父亡くした俺にとって、お墓参りはこれまで以上に身近な行事となっていた。生きている人間のことよりも、もういない人間のことばかりを考えるようになっていた。映画を観るのも同じようなことだと思う。なぜ俺が小津安二郎に強烈に惹かれたのかといえば、祖父が生きていたことを、祖父が生きていた時代があったことを映画の中で確かめたいという気持ちがあったからに違いなかった。そして、小津安二郎の映画はそれを与えてくれた。それとは、「確かに有った」という確信のことだ。
2019年3月。祖父が亡くなってちょうど一ヶ月が経った頃だった。横浜の映画館シネマリンで、俺は初めてそれを感じることが出来た。4K修復版のあまりに美しい映像は、それが過去のものであることを忘れさせた。現実以上の存在感。今ある。俺と一緒にある。俺が生きている時代とつながっている。俺の祖父が生きていた時代とつながっている。茅ヶ崎の海は、烏帽子岩は、北鎌倉駅は、木々は、結婚式の瓶ビールは、雀荘のラーメンは、タイプライターは、猫は、家族は。確かに有ったのだ、と。

だからこそ不思議だ。「無」という一文字が。「確かに有った」ということをあれほど感じさせてくれた人間が、その一文字を選んだことが。1963年12月12日を境になにもかも無くなったのだと言い切られて突き放されたような気持ちになる。お墓はあるけれど絶対にここにはいないだろうと思う。それでも生きている人間に出来ることは限られていて、俺は目を閉じて手を合わせるしかなかった。頭のなかで言葉を並べてみるけれど、どこにも届く宛がないまま空中にかき消えていった。
しかし、目を開けて感じたのはまったく逆のこと。「有る」ということだった。足元に転がっている石の、雑草の、枯れた花の、バケツに入った水の、姿の見えない声だけの鳥の、有るということ。とるにたらないいろいろなものが、それ以外の形ではありえないような存在感を持っていた。俺は小津安二郎の映画を観たときと同じような感触を、彼のお墓のまえで感じていた。

あの日から俺は、折に触れて円覚寺を訪れるようになった。スターバックスに行くのも、由比ガ浜に行くのも、円覚寺に行くのもいつだって選択肢に入っている。ついさっきまでは渋谷で映画を観ていた。ヴィム・ヴェンダースの「東京画(Tokyo-Ga)」という映画だ。1953年の東京。1983年の東京。2021年の東京。ドイツの映画監督が幻を追い求めて東京までやってきたように、俺もまた幻を追い求めて鎌倉に行ってみようと思った。そこに何も無かったとしても。

円覚寺にあるのは小津安二郎のお墓だけではない。田中絹代、木下恵介、そして佐田啓二。みんな小津安二郎と深いつながりのある人たちだ。小津安二郎のお墓に行くまえに彼らのお墓をひとつずつまわっていった。すると、そのすべてに、まだ瑞々しさを保ったままの花が供えられているの気づいた。俺が誰かと同じ足跡を辿っているのだとはっきりわかった。彼らは映画スターであるまえに誰かの家族だった。俺は自分が場違いな気持ちになって、いつもより少しだけ深く頭を下げた。
そして最後に小津安二郎のお墓へ。そこには溢れてこぼれるほどの真っ赤な薔薇があった。その赤色が目に入った瞬間、思い出した。昨日は彼の誕生日でもあったのだ。花束と酒瓶。真新しいお線香の束と、まだ乾いていない墓石。「無」という文字を水滴がなぞっていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?