見出し画像

私の身体を生きる

 「三匹の子ぶた」のビデオテープが実家にあって、幼い頃に何度か観た。ディズニーのアニメで、物語はよく知られている童話と同じだ。長男の子ぶたは藁の家を、次男の子ぶたは木の家を、末っ子の子ぶたはレンガの家を造る。ある日オオカミがやってきて、藁の家と木の家はあっけなく吹き飛ばされてしまう。末っ子の子ぶたが造ったレンガの家だけは壊されることなく、三匹の子ぶたはオオカミを撃退することに成功する。

 俺の身体とはどんな身体だろうか。

 そう考えたときに、記憶の始まりに近い場所にあるのが「三匹の子ぶた」だった。まだ幼稚園に入るか入らないかくらいの、小さな自分の背中が見える。”オオカミなんかこわくない”と歌いながら、その危機にまったく備えなかった長男と次男はあとで泣きを見ることになるのだが、はたして末っ子のほうが正しくて幸福なのだろうか。明るくて楽しそうにしている二人がうらやましかった。オオカミが来るまえから泣いている心配性の子ぶたこそ、弱くてみじめな自分そのもののような気がした。
 俺はちょうど三きょうだいの末っ子で、泣き虫だった。あと、鼻が少し上向きについていて、似顔絵を描かれるときはいつもそれを強調された。そしてきょうだいのなかでただ一人だけ太っていた。歩くだけで股擦れが起きていたし、手の指もぷくっとふくれていて関節のところだけへこんでいた。俺は自分のことを「末っ子の子ぶた」なのだと思っていた。それが俺の最初の身体だった。

 じゃあ俺の身体が「子ぶた」じゃなくなったのはいつからだろうか。その始まりはおそらく小学校四年生の頃だろうと思う。印象に残っている出来事がいくつかある。
 ひとつは、休み時間に同級生とふざけていたときのことだ。蹴り飛ばす真似をしたら相手のスカートに足が引っかかってめくるようなかたちになった。そのとき、なにか取り返しのつかないひどいことを自分がしてしまったような気持ちになって、「ごめん」と咄嗟に謝った。「全然大丈夫だよ!」と、その子はその言葉通りの表情で笑ってまだふざけ続けたがっているようだったけれど、俺はさっきまでの楽しい気持ちに戻ることができなかった。その瞬間から、突然二人のあいだに大きな壁ができたように感じた。その子のことはクラスのなかでも特別に、なんとなく好きだった。
 もうひとつは、通学路の途中。交差点で同級生たちと合流したしとき、いつものように「おはよう」と声をかけたら、一人の女子から「なんか声が変じゃない?」と言われた。自分ではまったくそんな変化に気づいてなかったから戸惑った。その子には二つ上の兄もいたから、それが"声変わり"と呼ばれるものだってわかっていたのだと思う。その子だってきっと悪意なく、ただそのことをおもしろがっていた。だけど今になって思えば、「おまえは男になるのだ!」と判決が下されたような得体の知れない衝撃が俺にはあったのだ。だって今でもそのときのことをはっきりと覚えているのだから。

 そして、小学校五年生になった俺はその初日から憂鬱だった。 クラス替えの結果、それまで仲の良かった友達すべてと離ればなれになってしまったのだ。なんで自分だけ一組なんだろう、二組だったら相沢も田尻も中村もいるのに。それは当時の自分にとって絶望的で、その年の夏が過ぎた頃から学校へ行かなくなってしまった。行けなくなってしまった。こうやって書くとまるでクラス替えがすべての原因のように見えるけど、そうじゃないことも今はわかっている。クラス替えはジェンガのひとつに過ぎない。
 振り返ると、あの頃からなぜかぼんやりと暗い気持ちになることが多くなっていた。同級生のスカートをめくってしまったせいかもしれない。声変わりをしてJUDY AND MARYを歌えなくなったせいかもしれない。担任の給食に洗剤が入れらるのを見たせいかもしれない。本当に憂鬱だったのは学校じゃなくて家庭だったのかもしれない。だけど当時はそんなことのすべてがわからないまま、ただなんとなく暗い気持ちだけが膨れ上がって、「学校に行きたくない」としか言えなかった。
 一日休んで、二日休んで、一週間休んで、一ヶ月休んで。半年経った頃には俺が学校に行かないのも日常になってきた。だけどそれでも俺の気が休まることはなく、俺にとって、家にいるのは地獄にいるのと変わらなかった。学校に行っている方がどれだけマシかと思った。リセットボタンがあれば間違いなく押してあの日からやり直すつもりだった。学校に行くと言って玄関を出たはいいけれど、角をひとつ曲がることもできずに諦めたこともあった。家庭訪問に来た担任と顔を合わせないため、部屋のドアをバリケードで塞いだこともあった。そして、学校を休んで家にいるあいだは食欲が無くなっていた。たぶん、「学校に行っていない自分には食事を食べる資格がない」なんていうふうに感じていたのだと思う。
 それほど思い詰めていたはずなのに、ふたたび学校に行くようになったのは自分でも不思議だった。家にいるのも飽きていたし、誰のためでもなく、そうするのが自然なことのように感じた。実際、その日から卒業するまでのあいだ、学校に行きたくないと思うことはもうなかった。今ならその理由も説明できるけど、当時は自分でもよくわからないままだった。小学校六年生の夏休み明け。九月一日。そのとき、気づいたら俺はもう「子ぶた」じゃなくなっていた。

 「イガがいないあいだに性教育の授業があったんだよ。男女別々の部屋に分けられてさ、まじウケる」
 と、あとになって聞かされた。机をすべて後ろに片付けて、床に体育座りしている男子生徒たちの姿が頭に浮かんだ。先生が黒板にでかでかと性器の絵を描いている姿が頭に浮かんだ。精通について、初潮について、子どもができる仕組みについて説明があったのだろうか。同級生たちはそれを笑っただろうか。そして先生から怒られただろうか。その授業に出ていない俺にはわからない。小学校で受けるべき性教育を受けていない俺は、なにか大事なことを知らされないまま今も生きているのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集