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もう酌み交わすことができないけれど

父はお世辞にも俗に言う「いい父」ではなかったかもしれない。

幼い頃は怖くて仕方なかった父。
色々あって、一時期はほとんど関わることがなかった。

しかし、高校はなんの因果か父の母校に通った。
今思えば、父との関係性が変化していくターニングポイントだったと思う。

大学時代は親元を離れ、ひとり暮らしをしていたので、
自然と父との連絡も密になった。
突然アポなしで大阪まで会いにきたときは、
天変地異かと思うくらいに驚いた。
それくらいこれまでの関係性からは想像がつかなかったから。

ある日、地元でハタチの誕生日を迎えた私。
父の提案で一緒に飲むことに。
「おまえと飲める日がくるとはな」
と笑いながら言う父。
私は、あのときのなんだか気恥ずかしいような、
むずがゆいような気持ちをいまだに思い出す。

父はお酒に強い人ではなかった。
ぐびぐびお酒を飲む私を見て、
「親父と一緒だな」とよく言っていた。
私がお酒に強いのはどうやら祖父譲りらしい。
そんな話も一緒に飲まなければ聞くことが出来なかった。

高校時代、関係性が変わっていなかったら
きっと一緒にお酒を飲むことは叶わなかった。
一緒にお酒を飲んだことで、父の違う一面を知ることができた。

時間は有限で、
いつ終わりを迎えるかわからないことを父が教えてくれた。

もっと一緒に飲みたかったな。
息子がハタチになるときも
「おまえと飲める日がくるとはな」って笑って、
一緒に飲んで欲しかったよ。

いつかまた会えたら一緒に飲もうね。

#また乾杯しよう

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