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事務職以外に楽しいことってある?

今、振り返れば、様々なお仕事をしてきました。根っこは事務職一筋だったはずが・・・
あることがキッカケで私の仕事人生も変わる変わる!

《いごこちじかんわたしじかん》ができるまで ◆part3◆

右も左もわからず18歳の私は社会に出る

右も左もわからない、まだまだ子どもの私は18歳で社会にでることになる。大学進学が希望だったけれど、それも叶わず。
※中学、高校の話は、別記事で。

世の中、バブル景気(1986年-1991年) 就職はいろいろと大変でしたが、バブルの恩恵は受けました。高校を卒業後、就職したのは船舶会社。小さな会社でしたが国内、国外、飲食と3つのグループがありました。私は国内船舶の営業事務として入社。正社員として26歳まで8年半勤めました。ここで社会人として育てていただいたと今でも感謝しています。この8年の間に、仕事はもちろん、仕事以外でも様々なスキルを得ました。その後、いろいろな場所で仕事をしましたが、この8年間が土台になっています。

そしてなぜか年配の方に受けが良かった私。取引先の営業さんや自社工場の工員の方たちに、可愛がってもらいました。家にいるのが嫌だった私は外での時間がなによりも息抜きになっていました。

当時、Windowsが普及されたころで、商業科(OA科でした)で勉強した知識が発揮できた場所。とにかくデータ入力のスピードは半端ないほど速く、社員の方たちに、それはそれは驚かれました。そして英文タイプを覚えたのもここ。外国貨物への納入のため、インボイス(納品書)や税関書類などは英文タイプで打つか、パソコンで。この話をすると『英語ができる人』のように、いつも思われますが全く英語はできません(笑) 専門用語のみ覚えておけばOKだったので^^ 英文タイプも打ち込む速さはすごかったですよ。

船舶と言っても、土木関連も取り扱っていたので、大手建設会社の下請け、川崎重工、三菱重工とも取引がありました。大きなプロジェクトでいえば、明石海峡大橋の着工から完成まで携わっています。業務が多い会社だったのでありとあらゆる仕事を覚えました。あ~懐かしい^^

ある意味人生を変えた派遣社員時代・・・・・

いごこちじかんわたしじかんができるまで
◆part3◆つづきはこちらから⇩
https://igokochijikan.com/watashiwawatashi/1621

ブログというツールで発信を始めてから6年。文字を通して綴っている原点は私がこれまで生きてきた時間から湧き出るもの。『生き方』というかっこいいものではなく『生き様』という泥臭いもの。少し長くなりそうですが《いごこちじかんわたしじかんができるまで》お付き合いいただけると幸いです。

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