たばこのこと。

20年前の私はバイク乗りに加え、
たばこは吸うわ、お酒は飲みすぎ道路で寝ちゃうわ、どうしようもない看護師だった。

母が匂いに気づかないのをいいことに、実家に帰ってこっそり吸っては引き出しに隠すという親不孝っぷり。ひどい、ひどすぎる。ごめんよお母さん。
(のちのち掃除中に見つかるという情けなさ)

バイク事故も、そんな生活そろそろやめたら?のサインだったのだと思う。

タバコを吸い始めたきっかけは、よくある理由。
ただの好奇心。

看護学校時代の仲良したちが吸っていた。
やはりよくある、ひと口だけ、から抜け出せなくなったのだ。
当時は美味しくないともやめたいとも思っていなかった。
ただ、身体にいいものではない、ということくらいは分かっていた。

マクロビオティック
ヨガ
岩盤浴などを続け始めると、身体が軽くなって気分もいい。
それがだんだんと、タバコを吸うと、なんだかよくないもの入れてるなーーという思いが強くなってきた。
そしてようやく、辞めようかな〜、が辞めたい!に変わった。

まず自分を洗脳

禁煙本を読みあさる。
ネットで禁煙サイトを検索しまくる。

そして私の中で一番ヒットしたのが、
喫煙を続けると20年後の顔がこうなるよ、というようなページ。
(当時の記事が古すぎて見つからない)
そこには喫煙している、していない、の双子の顔。
かたやツヤツヤ、ニコニコ。
もう1人はシワシワ、口元は梅干しすっぱー!みたいなお婆さん。

将来の顔がこんなに変わる?!
どう見ても喫煙側は老化が激しい…
いやだ!!

たったこれだけのことなのに、当時の私は必死になれた。

禁煙3日目の苦悩

夜勤もしていたので、まず1日禁煙は普通に過ごせた。
問題は夜勤明け。
疲れた上に、頭も朦朧としているのでいつもの習慣で明けの1本、がなかなか抜け出せない。

同僚が吸いに行ったりするとついつい、少しくらいならまぁ、いっか、となる。

連休を狙う

仕事があったり飲み会がある日はまず無理。
3日目の壁にぶつかり、3連休の希望を出すことにした。
タバコを吸う人と会わない。
飲むとセットで吸いたくなるので飲みに行かない。
3日間、家から出ない。

2日目の壁は越えられるが、3日目となるといてもたってもいられない。
考えなければいいのに、頭の中はたばこたばこたばこ。

…もう寝る!
幸いなことに、たばこを控えるだけで、ものすごい睡魔に襲われていた。目が開かない。

そして3日目までは、なんとか越えられるようになってきた(というより寝てごまかしていた)。

行こうよ攻撃

3日目を超えると案外平気になってきた。
ここからが、毎回同じパターン。
たばこを吸う同僚から
「えー?行こうよ」
「やめてるから行かない」

休憩中のタバコタイム。
喫煙者しか集まらない場所での会話。

歳を重ねた今ならたいして気にもしないが、
若い頃はそういう場でのやりとりが、仕事のやり方、チームワークにもつながり、必要だと思っていた。
自分がいないところで自分のことを噂されるのも怖かったんだと思う。

3ヶ月後、また振り出しに戻った。

リバウンド

というものがたばこにもあるならひどいものだった。

タールを減らしたらいいんじゃない?と
少なめにしたら本数が増えた。
まだ1本の2/3くらい残っているのに消してはまた新しいものに火をつけ、消す。

この箱がなくなったらもうやめよう。
その1時間後に吸殻の長いものにまた火をつけている。
それすらなくなり、お金を持って自販機に向かっている私。

この箱がなくなったらとか言ってるからだ。
買ってきたばかりのたばこを水で濡らしてゴミ袋にポイ。
その数時間後にゴミ袋から拾い上げ、濡れたたばこをきれいに並べて乾かしている。

あーもうほんとになにやってるんだ私。
完全に意思とかそういう問題ではない。

ニコチン依存だ。

あっけなく

急に自分が本気で情けなくなった。そして呆れた。
コントロールできない自分が怖くなった。
たばこに縛り付けられ、気づけばたばこのことしか考えていない。
ニコチン依存なら身体からニコチンを出すことに力を入れよう。

やめる!というより出す、デトックスのほうに意識を集中した。

マクロビオティックの玄米、岩盤浴。
とくにヨガの呼吸法をひたすら取り入れた。
息を吐く時に身体中のネガティブな想いや悪いものが、身体中のあらゆるところから出ていくこと。
息を吸う時には周りのいいエネルギーや想いが入ってくること、をイメージした。
せっかくの「吸う」という行為を、「たばこの煙を吸う」ということから切り離したかった。
たばこを吸いたくなったら歯磨きを長めにして、キレイになるほうに力を入れた。

そんなことを続けているうち、ニコチン依存から解放された。

苦痛からは解放されたい

主人はよく言っていた。
「別にやめたいと思ってないからやめない。やめると思ったときにやめられる自信あるから」
「いやいや、ほんとに大変だって」
私は事あるごとにそう言っていた。

が、しかし。
主人がインフルエンザに罹った。
夜も眠れないほどの咳でむせていた。数日経っても治まらない。
「もうたばこやめれば?」
「やめるよ」

そしてなんと。
その翌日から本当にすっぱりとやめてしまった。
それから今まで一度も吸っていない(と思う)。

え?私の苦労は?ゴミ袋まであさってたのに?
という感じである。

でもきっと、主人は本当に苦しかったんだと思う。
咳で。

体調不調になると、あっけなく健康に向かう行動に移れる人がいるのだ、とその時初めて知った。
私がやめられなかったのは、ありがたいことに、たばこを吸っていても苦しくもなければ咳も出たりしなかったから。健康だったのだ。

喘息でも慢性呼吸不全でも肺癌でもたばこを吸いたい。
糖尿病でも腎不全でも心不全でも好きなもの食べたい。
肝臓悪くてもお酒飲みたい。
病院で働いていると、そういった患者さんをよく見かける。

それならそれで、悪くないと私は思う。
無責任かもしれないけれど、自分の人生、自分のやりたいように、好きなようにしたほうがいい。
バイク事故で死にかけた時にそう思った。
人はいつだって次の瞬間には死んでしまうリスクがあるんだということ。
だったらやっぱり、好きなように生きればいい。我慢ばかりで死ぬのはいやだな。

ただ、不健康な食生活、行動を続けるのはどんな想いがあるからなのか、なぜ変えられないのか、まずはそういう根底にあるものをよく知ることは大事だと思う。

身体が不調を感じていないうちは、まだ行動を変えるタイミングではないんだと思う。
自分の中の声を無視していなければ、ターニングポイントは自然と訪れてくれるはずだと思っている。













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