見出し画像

「囲棋」の構造おぼえがき1 囲碁という、プレー可能な抽象 

どうも囲碁アートの関です。
※本編無料でお読みになれます。


「囲碁は、世界そのもの」


というコピーを使うことがあります。
マニアフェスタでも、サブタイトルにしていました。

しかし、私がなぜ囲碁というものを単にゲームとだけではなく、世界そのもの、もっと言えば全てに囲碁を見出そうとしているのか
あまり自分でもスパッとした説明ができなかったのですけども

最近ちょっとヒントを得たので、言葉にしていこうと思います。

タイトルは

九鬼周造先生のをもじりましたが、「おぼえがき」としているのは、この作品のようにはまだ、鮮やかにまとめきれないと思うからです。
ざっくばらんに書いていきます。


さて、囲碁が世界である、というのは私だけが突拍子もないこと言ってるわけではなく、大昔から続けられてきたようです。

ちょっと固めなエッセイという印象のこちらの本では、古代の中国では天は円形に、地は方形(四角形)にイメージされていたことや、2000年前の班固の囲碁エッセイにてその世界観と囲碁が重ねられ、政治や道徳、歴史も囲碁の中に見出していることが紹介されています。

本書については、また深入りする機会があるかも知れません。
第一回の今回は、「何かを見出したくなってしまう」囲碁のつくりを見ておくことにしましょう。

囲碁は、四角形の碁盤、その上の格子状の線、黒と白の碁石

序盤の一例、「秀策のコスミ」の場面

これだけで全てが表現されますが、われわれが生きている場所の条件にわりと近い要素が多いと思っています。


・時間がある

一手一手、交互に打っていく。順番を数字で示すことが多いです。

黒から始めて、黒→白→黒→白・・・と交互に打っていきます。
それぞれの石には前後関係があり、つまり「時間」があるとみてよいと思います。
何分、何秒などがわれわれの時間ですが、囲碁の時間は「黒1」「白2」です。


・空間がある

見ての通り、石を置くための場所があります。
試合で使う主な碁盤は19路盤、つまり19×19。
遊びやすい9×9や13×13も人気です。
この限られた「空間」の中で、囲碁はプレーされます。

また、囲碁は空いているところを自分の石で陣地にして、広さを競うゲームです。
つまり空間がゲームの目的、ともいえます。
6㎝や50㎡などがわれわれの空間ですが、囲碁の空間は「6路ぶん離れている」とか「50目」(もく。陣地1ポイントぶんの数え方)です。


・生成変化がある

囲んだら石を取れる、の図

新しく石が置かれ、碁盤の上に誕生することもあれば、囲まれたら取られるので無くなることもあります。
ダイレクトな用語として、囲碁では「石の生き死に」が戦略上の大きなテーマになります。
大切にしなかったら壊れちゃったり、生命が感じられたり、という想像につながるところです。


・二元論的である

まさしく、黒・白の争いなので、異なる二つの要素がぶつかって生じるもろもろが囲碁のゲームだと言えます。
われわれの営みの全てをそれで見るというのは問題含みです(のちのち詳しく考える機会があるでしょう)が、
自分があれば他人があり、成功があれば失敗があり、勝ちがあれば負けがあり・・・
その間のグラデーションも含め、二つの要素でものを見ることは人間の現実の必然的な一部だと思います。

・結果がある

囲碁の一局が終わった時、それには必ず、勝ち・負け・あるいは引き分け、という結果の判断が伴います。
ここも同上(のちのち詳しく考える機会があるでしょう)なわけですが、
何かを成功させねばならない、よしあしの判断をしなければならない場面はあり、それはわれわれにとって重大な関心事でしょう。

などなど。
このあたりの基本的な条件が、われわれが生きている現実の目の前の課題となんだか重なって見えることがあります。

黒・白・碁盤を使った、囲碁という抽象と言えるのではないか。
そしてそれは、自分で碁盤の中に入って戦う

プレー可能な抽象


と言えるのではないか。


次回は、囲碁で何かを「例える」ということについて書くような気がします。



記事は以上です!
もし私の文章や囲碁アートを気に入っていただけたら、投げ銭を頂けたら、活動のさらなるモチベーションとなります。
「有料部分」は本記事と関係ない内容ですが、毎回違うことを書いております。


ここから先は

88字

¥ 500

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?