「フリーランス酔い」にご用心【biz】
X(Twitter)では毎日のように「フリーランスの主張」が目に入る。
フリーランスと言ってもさまざまだが、投稿を見れば仕事として成り立っている人なのかフリーランスという言葉の響きに酔っているだけなのか、だいたい想像がつく。なぜなら私も同じ立場だからだ。
一番わかりやすいのが「Webライター」だ。出版社や雑誌社から独立してフリーライターとなっている人たちの投稿は、その人なりの日常の投稿、誰に向けてというわけでもない「つぶやき」になっている。リアルな社会で仕事の受発注も回っているから、SNSを受注の窓口にもしない。
これが(業としての)執筆や経験をせずに、webメディアの台頭でライターとなった人たちになると主張が明確になる。
大多数は仕事への取り組み姿勢を滔々と語って仕事の依頼を待ち、忙しいアピールに全力投球。(自身を鼓舞するのは別だが)収入まで投稿してしまう人までいるのだから恐れ入る。
そうまでなると、いささか滑稽ではないか。これこそ私がフリーランス酔いと見る症状だ。つまり自己陶酔。
SNSを通して少しでも上のポジションに自分を置きたい、クライアントを通して社会に貢献できる有為な人材だとのアピール。地を這うように仕事をしている私にはマネができない。
だが、そういう傾向には既視感がある。今ではさほど聞かなくなったが
「ノマドワーカー」
がそれだ。分かりやすい例を示せば、スタバの人目につく席でコーヒーを傍らにパソコンを広げて、やたらキーを叩く音を響かせていたような人たちだ。
おそらく当人たちは「場所を選ばず仕事のできるオレ(ワタシ)ってイケてるね」と思っていたろう。しかし休息のためにカフェを訪れた人たちは、私と同じ(上述したような)印象だったと思う。
そういう人は減ったが、似たような傾向の人はたまに見かけたりもする。自分が思うほどのことは、社会は思ってくれていないのはネットもリアルも変わらない。
確かに「フリーランス」という言葉の響きは自営業や個人事業というよりいいかもしれない。
組織に縛られない自由な働き方で暮らしていけるならば幸せだ。
だが、組織であれば自分以外の誰かがやってくれた仕事もやらねばならないし、社会のルールはフリーランスにも例外はない。
Xで存在感だけはあるフリーランスが実社会でも存在感を発揮しているかどうかは、その主張からは読み取れない。
そんなふうに冷静に見ている人間がいることは忘れないでいた方ががいいだろう。