Vol1,スポーティーなサードプレイスの必要性

スポーティーなサードプレイスの必要性

事前連絡せずにふらっと誰かに喋りに行ける場所ってあります?〜

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よし、まずそのサードプレイスとは!

「家庭」(ファーストプレイス)
「職場」(セカンドプレイス) 
以外のもう一つの3つ目の場所のことで、簡単に言うと、
風通しがよく出入り自由で強制なしの平等なコミュニティ である。

毎日、会社と家庭の往復人生じゃつまんなくない?
家庭と仕事のアンニュイな悩みは、行きつけの店などにいる程よい中距離の他人に話したほうがよい。
治外法権性のある人に軽いテンションで打ち明けるととても気楽だ。(マツコが売れた理由、秘匿性と平等性の高い新宿二丁目のバーにお忍び芸能人が絶えない理由である)

そして、普段会わないような他業種からの刺激も人生には多分に必要だ。

いや社員は家族!とか 終身雇用とかいまやってねーし!

3つめの楽で楽しい居場所の中でもっと緩やかな繋がり作って人生ちょっと充実させていこー!
時には分人でも機能させて幸福度あげてこーねえ!

っていうのが近年叫ばれている「サードプレイス

カモン、セレンディピティ!(未知との遭遇)

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ふらっと訪れて立ち飲みでアルコールをかっ食らってエレガントに踊る。議論を交わす。
photo by Midnight in Paris  
余談だが、この時のマリオン・コティヤールの美貌と仕草はSO,SO,GREAT だ。
ベルエポックに行ってしまった、、


一昔前には
スナック、銭湯、囲碁将棋クラブ、寺、大衆居酒屋、、etc、、が街の路面に陽気に立ち並んでいた。
戦後、銭湯なんて都内に2000件あったが今は500件(それでもまだ駅一つにつき一つはあるらしいが)

昨今で言えば何に代替されるだろう、、
バーとかHUB、それこそソーシャルランドリー、、?
くらいしか思いつかない。クラブはちょっと苦手だし。 

(一見わたしを派手な人間と思っている人が多い、が実はダンスはうまく踊れない。気恥ずかしい。
70歳の陽水の氷の世界は人生で一番鳥肌が立った。

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コスパを超越した感動をせよ


横須賀LIVEやばかった。狂気すら孕んでいた。「陽水と芸術の扉と私」という陽水論をこちらでは語っている。)

若者よ、なんかある?


ただわたしは決してノスタルジーに浸っているわけじゃない。
無いなら作ろうぜってだけだぜ。

して、今回やろうとしてるのはサードプレイスとしての

いつでも来れる地域のスポーツコミュニティを創出、存続させ、楽しく体を動かしちゃおう。
んで、10年後はみんなの子ども連れてきて一緒にスポーツやれる場所になったら最高だよね!
アジトみたいなバスケ倉庫つくって、畑を耕して飲食店やりながら子どもたちと自然食育もしてさ、お祭りやって。
んで出来たらプロとかも作っちゃってさ、みんなで運営して役割作って地域貢献、社会活動もしちゃうよ!充実!しやわせ!

ということだ。

(人口10万人のドイツのある地域のスタジアムは毎休日に3万人もの人が集まり、当たり前のようにそこで交流をはかる。すげえ文化だ。
なんと3/10! )

地域の教育に燃えている人、地元で畑をやっている人、商店街でクラブチームを持っている人、高校のOBで長く存続しているクラブ、、
沢山の諸先輩方たちの背中を見て、上記のコミュニティ創出のロードマップを具体的に引きはじめた。

その意義と楽しさと社会性をこれから語るから、まあ焦るなよそこの田中。鈴木もだぞ。こら高橋!おまえもだ。

なんかすごい考えるだけで楽しくなってくる。

(カフェと畑の体験デザイン、サブスクリプション、収益構造など具体的な経営戦略はまた別項する。
今回はサードプレイス)

(その「サードプレイス」も、アメリカ式に正しく言うとクリアしなきゃ行けない条項がいくつかある、が、詳しくはググりたもれ。
最近は勉強する場所をフォースプレイスとも言おうとしてるらしいぞ。あいつら何でもすぐ作っちゃうよねえ。
フリーミアムで3→プレミアムで4 という流れもよし)

いつだって先生は街角のおっちゃん

(冒頭に記した)孤独の解消
それと、このサードプレイスが必要な一つの理由は
学校と家庭との相性がたまたま合わなかった子どもたちのキャンセル装置としての役割を持つ。

例え学校が肌に合わなくても、親子関係が悪くても
週に一度、仲間と思いっきり声だして走りまわれるスポーツクラブがあれば、その子の心身は少しでも救われるだろう。

土台、30対1の教育なんて無理がある。
組体操ってなんやねんあれまじで。前へならへ、って。。軍隊教育やんけ。

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サラリーマンが増えたのは昭和から今だけだ。1000年間くらい日本の大部分はみんな街の自営業でやっていた。

いつだって子どもは地域が育てたものだ。
国語は本屋のおばちゃん、算数は八百屋のおっちゃん。
大人が社会の代理人、エージェントとして大人の世界というものを子どもに持ち込む。
スーツ着たかっこいい兄ちゃんもいれば、飲んだくれのジジイ、自堕落でエロいお姉さんもいて、複数の大人を見て憧れと免疫を持って育ったものだ。

現代の言われたことしかやらない病というのは
組織単位で必要な無数の項目を逆算できず、自分事として主体性を持って生きなくなった状態のことを言う

加えて、イベントを責任主催したことがない人間だったり
一見に不条理に見えるタスクを耐え乗り越えた先の達成感と、包括的な納得感を味わったことの無い人間、とかね。

そんな不条理は、図々しいオヤジの勝手な善意によるフィールドワークによって暖かく育まれたりするものだ。(なんかおれ随分と昭和だな、IT系で平成で23区育ちなのに)

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みんなでやれば楽しい!
いやすみません、実際畑仕事はそんなに簡単じゃない。
が、それを体感していれば感謝が出来る。
知ってると知らないとじゃ大違いなのだ。
散歩のススメ
わたしは今まで23区のうち4区に住んだが、必ず地場の飲み屋かスーパーに全てに話し相手が存在する。
大山の赤ちょうちん、御苑の定食屋、築地の立ち飲みワインバー、池袋のセレクトコーヒーショップ
まだまだたくさん。世界は思っているより多様で、人間と人間で営まれている。


産業化とインターネットによって効率化した結果に孤独と鬱という穴が開いた。これからは
スポーツを軸にしたオルタナティブで包括的なスポーツコミュニティという活発な複雑性を盛り込んで、ツマラナい人間を育むのはヤメにしたい。
コスパコスパうるせーよ。体で感動しろ


(若者のブランド物離れは、高くていいモノに興味が無くなった訳ではない。
今は安くていいモノが溢れているから、わざわざ高価なブランドに手を出す必要が無いだけだ。
それではこの60年間、フェラーリの資産価値が目減りしないのはなぜだ?
所有すること自体に意味があり、文脈や伝統という時間、高級革という触覚、ガソリンという嗅覚、など様々な次元とエンジンを体で震わせて機体に載るから心を豊かにするんだろう。
コスパだけで選んでいたら複製可能テクノロジーが全てをチープにする。
陽水のLIVEにいk、、、)

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そういや地元の石神井川の花見では、よく商店街の酔っぱらいのおっちゃん達のくだらない喧嘩をよく見た。今考えるとやっぱアイツらはアホだった。(笑)

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仲間とバカやって、たとえある程度は法や決まりを破ってでも絆を守ることが大事。
その程度というものを教えてくれる地域の素敵な
うんこのおじさん
宮台著。いいよこれ単語難しいけど

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