見出し画像

酷評さほりの部屋・マボッショ全作酷評

※自身のSAN値チェックは随時行ってください。



評者・酷評さほりさんからのご挨拶

 凡愚のみなさま、ごきげんよう。
 高☝貴☟なる義務ノブリス・オブリージュを実践する酷評さほりですわ。
 以後、お見知りおきを。

 ここではイグBFC4幻の決勝戦作すべてに酷評をつけましてよ。
 軟弱ブンゲイ者は他人の作品も読まない下賤の民ですから。
 わたくしのような高☝貴☟なる者がやらねばならぬのですわ。
 ですわ。

・評者紹介
2023年12月2日にチェコ共和国のポイント・カサレリアで生まれる。
両親は日本人。幼少より八つ手ビームサーベルをたしなむ。
2038年に『すばらしい日本の浅草寺』でイグ軍蔵新人文学賞・イグ芥河賞。同年『狸と踊れ』でイグオソカワ・SFコンテスト大賞。
2045年に『見方は山賊・海賊版』でイグ青雲賞。
2048年に『Triple Cross : Public Enemy, Again』でイグネビュラストーム賞・イグM9ガーンズバック賞同時受賞。
2060年に『戸Rタニシの極大射程(ザ・シューター)』で小林猫太賞。
翌2061年、まっきー癌に倒れ現在に至る。

酷評さほり公式法務ペイジ『八つ手ビームサーベル入門』より



※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)


酷評一覧

0.酷評見本テンプレート

 アホ度:5(5段階評価)
 イグ度:5(5段階評価)

 完全なるイグですわ。これ以上ないほどのアホですわ。
 わたくしってなんて完璧なのかしら。
 お天道さまに叱られないかしら。
 わたくし、きっと地獄に落ちますわ。
 美しすぎて。
 凡愚のみなさまはわたくしの評を読めて光栄だと思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


2023年12月3日更新分

1.赤木青緑『雨上がりのデスロード』

 アホ度:2
 イグ度:1

 ポストコロナ時代において〈生きるとはなにか〉ということを書いた力強い作品と言えなくもなくてよ。三人称の特性を利用して、トオルと女の子の考え方を相対化する細かい技術も見られますわ。また作品中につらいせき・たんに「クールワン」や取っ手のとれる「ティファール」といった現実の固有名詞がためらいなく使われていることから、現実と地続きの幻想という形を取られていることも特徴でしょう。
 なにより話の主体となるトオルの心情が地の文で衒いなく書かれていることが作品に一本の線を引いていますわ。この男、軟弱で情緒不安定なものですから、死ぬだの生きるだのとねちねち言っておりますけれど。結局のところ、こうした〈感情の有様〉そのものが生きるということなのですわ。
 それにしても本当に情けない人間ですわこのトオルというのは。生きるしかない程度の自明のことをオチに据えて彼方に消えるだなんて、わたくしの友人のマボッショくんも真顔になりますわ。取っ手のとれるティファールの取っ手をつけたかのように取ってつけなのですわ。
 感情を書くという点で成功している一方、物語的には謎の多い話でもありますわ。なにが彼らを死に追いやるのでしょうか。感情を描くための舞台背景として破滅が存在することはわかっても、具体的に何が彼らを滅ぼすのかとんとわかりません。ですから、この作品は読者の感情移入に強く依存しており、それに失敗すれば謎の心象スケッチの域からでなくなってしまうという欠点を抱えておりますわね。
 あと、女の子がかわいくありませんわ。
 総じて、本作品で重要なのは心の在り方であって、それ以外のものではない。印象勝負の作品でしたわね。こうした点から、わたくしはこの作品をイグ印象派と名付けることにいたしますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


2.ユイニコール七里『ボンファス~Bon the first~』

 アホ度:1
 イグ度:1

 まずはじめに断っておきます。この作品、頑なに全角で文字を書いているように見えて()が半角ですわ。こういう不徹底はわざとらしいのでしっかりと潰しておくのをおすすめしましてよ。それにどうせ横文字で展開されるのですから、正式名称——要するに、半角が正式なものは半角で押し通す方がすがすがしいのではなくって? そう考えると、本作品にはわざとらしいイグ味があちこちに見られますから、人造イグ認定は逃れられません。
 本小説は現代ファンタジー嘘私小説ですわ。他人を殺してお葬式をしなければなにもできない。そんな無力感をユーモアと2020年代の現代感覚でごまかしている。そんな現代ファンタジーですの。ところどころに挿入される実在するものの名前は、作品全体の嘘を現実側に引き戻そうとするあがきであると共に、この作品はそんなに真面目に読まなくていいですよ、と読者を油断させる姑息さの表出ですわ。
 それにしても……全体的に言えることですけれど、読者に要求される知識が特殊ですわね。『スラムダンク』から始まり『Twitter(現X)』まで、これらは作者にとっては卑近でも、そうでない人間からすれば謎ですわ。ある意味ではハルキストばりに気取らないことを気取っている高飛車戦法でできている小説と読めるでしょう。ちなみにわたくしは『SLAM DUNK』のメガネ君(木暮公延)が大好きですわ。
 一方で、本作品で描かれる死者と自分たちの生活の描写は、上記の姑息な工作によってある種のリアリティを獲得していることも否定できませんわ。本作品が嘘私小説の範疇に入るのは、家に死んだはずの母がいるのを発見して以降、主人公と世間を結び付けるものが現実世界に存在する固有名詞だけになるところからもあきらかですわ。最終的には主人公が半分召されている——というか、もしかしたら死んでいるかもしれませんけど——そこまで徹底して、実在するものを用いて比喩をおこなっていく。これによって、この作品は現代ファンタジーとして、嘘私小説として、そのフレームを盤石なものに仕立て上げているというわけですわ。
 いまこの瞬間にしか成立しない儚い作品もある。それがよくわかるとも言えるかもしれませんわ。そのうちここに書かれていることのほとんどが註をつけないと意味不明となるでしょう。そうした時代に突入してやっと、本作品は嘘私小説から解き放たれる。こうした点から、わたくしはこの作品を早すぎたイグファンタジーと名付けることにいたしますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)


2023年12月4日更新分

3.鮭さん『くも』

 アホ度:2
 イグ度:3

 掌編小説の対岸に現代詩を置き、境目の散文側で反復横跳びしながらこちらをうかがってくる不気味な作品ですわ。本作品の中には二段階のエロスが組み込まれていますの。ひとつは隠匿されたエロス。もうひとつは剥き出しのエロスですの。このふたつの柱が不条理のくもに覆い隠されてユーモアに接続しようと努力している。このことから、本作品は官能的な掌編の趣をそなえていると言えますわ。
 本作はくもという日常生活でよく見る物体になにかが隠されているところから始まり、その好奇心が「昨日のお姉さんのライン」という単語により、隠匿されたエロスを想起させますわ。そしてすぐ本文でも「「えっちだね❤️」」「「えっちだ❤️」」と、明確にエロスの存在を肯定いたします。
 直後に嵐が到来し、本作のエロスはくもという存在から解き放たれますわ。「嵐で飛ばされてゆくなんて❤️」の「❤️」は、エロスの存在と濃密に結びついた記号として機能し、最後の一文「家はもみくちゃにされながら、えっちだ❤️」という言葉によって、ついには露出していくことになる。こうして読んでいくと、ダイナミズムに富んだ恐ろしい作品ですわね。
 しかしあえて言うのであれば、このダイナミズムは玄人向けすぎますわ。雲とお姉さんのラインの意味的な結びつきなど常人にはとても理解できず、ここが作品の妙味でありながら、とても一般読者の理解が及ぶとは思えないんですの。後半の、嵐が家を凌辱するシーンも同様ですわ。ドラゴンカーセックスもいまでは一般的な性的嗜好ですけれど、それでもニッチな嗜好であると言わざるを得ません。テンペストハウスセックスも同様ですわ。そしてこれらをユーモアという形で受け取ろうとすると、次に足を引っ張るのは「えっちだ❤️」というフレーズ。この言葉により前半で強いエロスを想起させてしまったこの作品は、他人のセックスを笑おうにも笑えない、いたたまれない空気を作り出してしまっておりますの。
 ですから、これほど短く嵐のようにすぎ去る作品でありながら、どう受け取ってよいのか読者が簡単には読み解けないという、先に触れた玄人向けすぎるという答えにたどり着きますの。
 わたくしくらい高☝貴☟になるとこうした作品もエロスとユーモアとダイナミズムを同時に味わうことができますけれど、それでは作品自体が読者を選ぶことになってしまいますわ。ブンゲイとは読者に選ばれるものでなければならない。それが高☝貴☟なるわたくしの主張ですわ。
 結論として、本作品を玄人向けのイグ官能コメディ(全年齢版)と名付けることにいたしますわ。わたくしのような文芸お嬢さまを読者に持てたこと、光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


4.大江信『嬉しい報告』

 アホ度:1 ※掲載者註:元原稿には0と記載がありました。
 イグ度:4

 言葉によるやりとりによって発生する認識の齟齬をテーマにした日常系の掌編小説ですわ。あらすじにいたしますとショートショートのような構成となっておりますけれど、実作はオチの切れ味に重点を置いておりません。ですから、ここはあえて日常系という言葉を使った方が本作をより適切に評価できますわ。
 本作のイグ度が平均よりも高い理由は「抜けかけた魂が入っていく瞬間」という記述が一体なににかかっているのか。そして「まさかそんな反応が返ってくるだなんて」と大げさな言い方をする理由。それらが本文中から読み取りづらいという点にありますわ。これらは『嬉しい報告』をした報告者の主観的感覚に基づくものであり、読者がそれに寄り添うための情報が本文内に見当たらず、感情移入が難しい。文字数の猶予を見ればそれらが苦渋の選択によりやむを得ず排除されたのではないとわかりますので、作者が意図的にやっていると解釈するのが自然ですわ。本文解釈の前提となる感覚を自明のものとして省略する手法はターゲットユーザーが明確な場合には有効ですけれど、そうでない場合、特にイグのように多様な価値観が存在する場においては悪手と断言できますわ。
 でも評価できる点が皆無というわけでもなくってよ。ブンゲイファイターが工夫を凝らして殴ってくる場にあえて日常系のように静かな物語をぶち込んでくるその姿勢は、ある意味では孤高ですわ。カテゴリーエラーという言葉を辞書に持たない作品は、最初からこれはアホであると着飾った文芸には存在しない、清々しい風が吹くものですわ。
 先述したとおり本作品は言葉が解釈される際に発生する発信者と受信者のミスコミュニケーションが主題となっており、それが一貫している点については疑う余地がございません。そしてそれが日常系の物語として提示されていることによって非常に自然な流れを形成しており、リアリティも充分に感じられます。これらの美点がイグ要素によって陳腐化してしまっている点は非常に勿体ないですわね。
 そういうわけですから、本作品に対する呼称はただひとつ、イグ日常系しかありえませんわ。そしてその主題に対して一切茶化す要素がございませんから、アホ度は1を下回る0ですわ。わたくしのような文芸お嬢さまにそう評されたこと、光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


5.久乙矢『昇天祭』

 アホ度:1
 イグ度:1

 本作を読む前に、まずは皆様にこちらの曲を聞いていただくのがよろしいと思いますわ。これは余計なことですので、必須ではございません。

 さて、本作は開幕から男根が飛び出しますけれど、決して破廉恥文芸ではございませんことよ。むしろ、そうして外面を取り繕ったSF掌編小説なのですわ。男根をロケットとし、着床を移民および繁殖の成功、神官を取り残された特権階級のように読んでくださいませ。そのようにすれば、本作品が終末世界に残された最後の観測衛星の打ち上げについて書いた小説であることがすんなりと理解できるかと思いますわ。でもこの読み方をしてしまうと、本作は途端に、ありきたりで味気ないSF掌編に成り下がってしまう可能性もはらんでおりますわ。SFというジャンルは破滅と諦観が大好物ですので、その手の物語は、具体的に名前が出てこなくとも、常套手段として認知されてしまうのですわ。ですから、本作をあらすじに還元してしまうと、その瞬間につまらなくなってしまうという根本的な問題があるという点は言っておかねばならないでしょう。
 ですから本作品はむしろ、根幹の物語を承知したうえで、作品がどのようにしてSF小説〝ではない〟ものとして己を見せようとしているかに迫った方がおもしろく読めるのですわ。たとえば衛星を打ち上げるロケットを頑なに男根と表現すること。打ち上げのさまをぶっ放すだのといってみせること。ヤグシャ族は一見してヤクシャ——夜叉のことですわね、これをオマージュしたファンタジー種族のように読めますけれど、実際はJAXAが元ネタになっていると考えた方が自然ですわ。これがより明解になるのはナーザ族の存在。これはNASAですわね。このようにして、現実の宇宙開発関連用語がどのようにして生殖表現やファンタジー風の単語に置き換えられているのかと解読していく、というのが、本作品に対するアプローチとして正しいとわたくしは読みましてよ。
 しかしこの読み方をするには問題がございますわ。それは、前提条件を知っておくか、二周目を読まなければ、そうした読み方はできないということですわ。ですので、一周目を読み終えたときに、ああこの作品はロケットの発射シークエンスを祭に置き換えて奇祭かのように見せかけていたSF小説だったのだなあ、という感想で終わられてしまう危険性がございましてよ。そしてもしそのような読み方で終わられた場合、本作品はあらゆる宇宙関連用語を生殖系の単語に置き換える言葉遊びをしていただけだと取られる危険性もございますわ。そして実際、この作品は流れ的にそう読めるように作られてしまっているんですの。
 そしてなにより、ここはイグですわ。イグにおいて男根程度は日常的に目撃するもの。わたくしも口にするのをはばかる必要がないほどですわ。そうなりますと新奇性という点もなかなか難しいものがございますわね。
 総じて、本作品は真面目すぎるアプローチを取っているがゆえにアホ度もイグ度も低いという作品だと言えますわ。よって、本小説を呼ぶにふさわしい名はイグロケットでつきぬけろ小説ですわ。わたくしに命名してもらったこと、光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


掲載者註:酷評さほりさん曰く、開幕に載せてる音楽はなんかえっちな感じに聞けるそうです。愛について歌っている曲ってなんかそういうのを連想させるような言葉遣いしてますもんね。で、この小説は逆をやっていて、普段はえっちだから使わない言葉を使って、SFをそうと知らずに摂取させる目論見もあるのでは、とのことです。そういう難しいやつよくわかんないので、酷評さほりさんみたいにイグネビュラストーム賞取ってるほどの人がそう言うんならそうでしょうねって感じです。知らんけど。


6.サクラクロニクル『現 - Generator’s Folk Tale』

 アホ度:-5
 イグ度:-5

 突然ですがイグナイトファングマン respect for アサルトライフルです。忙しい酷評さほりさんにこんな作品読ませられないので代理で来ました。
 なんだこの適当にでっちあげられた掌編はよ。だいたいイグBFC4の投稿作品、レギュレーション違反してるじゃねえか。そういう適当なことするやつには先制イグナイトファング! 追撃の死体撃ち! ドガガガガ!
 しかもなんでその続編っていうていの小説になってんだよ。単独の小説で勝負できねえのかてめえは。同じようなこと落選展の碑文とオープンマイクでもやってたじゃねえか。いい加減にしろよ。そういうメタ情報で読者を殴ろうとする浅ましい態度にイグナイトファング! ドガガガガ!
 しかもヒロインと思わしき眼鏡女子の、小説を書きたい理由書いてないじゃねえか。動機がわかんなきゃ感情移入できねえだろ。創作してるやつが読者だって見切ったうえで書いたな? そういう最初からターゲットユーザーを絞って内輪に攻撃を仕掛けようとする態度がせせこましいんだよ! イグナイトファング! ドガガガガ!
 さらに百合の間に適当な人物が挟まってるが、あれは男か? 女か? なにがまずい? 言ってみろ。ドガガガガ! おっとつい手がすべってしまった。
 途中で出したスケボーもなんの役目も果たさずどっか行ってるじゃねえか。なんでスケボーに乗せる必要があったんだよ。徒歩でよかったじゃねえか。スケボー出すからにはバックトゥザフューチャーばりに活躍させろよ。そういうところだぞ。イグナイトファング! ドガガガガ!
 あとオレにはわかるぞ。これ地味に仮面ライダーカブトと魔法陣グルグル混ぜてあるだろ? そういう一部の人しかわかんねえネタ放り込んで笑い取ろうとしてんじゃねえよ。イグナイトファング! ドガガガガ!
 まあひとつだけこの作品のいいところをあげてやるが、瞳に闇を宿した眼鏡女子は嫌いどころか大好物まである。それに免じて今日はこのくらいで勘弁しておいてやる。だが次にまたこういう適当な小説書きやがったら3時のおやつに文明堂してても容赦なくドガガガガ! するから覚悟しておけよ、貴様。オレは百合を真面目に書かない奴は殺す。
 要件はそれだけだ。じゃあな。

*

 6番は欠番?
 あらそうなんですの。
 では次にまいりましょう。時間は有限ですから大切に使いましょうね。


7.安戸 染『幻の応募作品』

 アホ度:4
 イグ度:3

 メタフィクションもイグの常套手段のひとつではありますけれど、本作が他のメタフィクションと一線を画しているのは、作品の軸が、パックマンに自作を食べられた、というホラーSFになっている点にありますわね。こうした知的財産を作品に援用するというのはエンターテイメントでよくある手法であり、本作もそれは同様ですわ。
 本作の芸が細かい点は、作品を画像出力できる点を利用し、本文の章分けを背景の色で明確化しているところですわね。これは実は珍しい手法でしてよ。本文を写真に置き換えるなどの大胆(ですけれど、それゆえに陳腐化も早いですわ)な手法と違って、こちらはほんの些細な変更に過ぎませんからね。気づいたときには、あらまあ、と思ったものですわ。やりますわね。
 さらに、本作品はメタフィクションの効果を最大限生かすべく、本文に作品が投稿できなかった言い訳をつらつら書いているのも特徴的ですわ。しかも、その本文がいつまたパックマンに食べられてしまうかわからないのですもの。正直なところ、句読点をいくら打とうが作品そのものを食べられたらアウトという気がしますけれど。そのあたりはテキストエディタなどを使ってバックアップを超高速で増やしまくって解決が現実的なのでしょうけれど。本作では主人公がパソコンに詳しくないと明記されていますから、そういう手段を思いつかないのもリアリティがあっていいですわね。むしろ半端に知識があるから句読点ごとにバックアップしていると考えると、大変味わい深い出来栄えの小説ですわ。
 そして本作がホラーとしての側面を剥き出しにして襲い掛かるのが最後の一文。「これを読んだ、皆様に、パックマン、が感染しないと、いいのですが。」これは非常に恐ろしい話ですわね。もしこのパックマンが伝染性のものだったら……? イグの参加者は震えあがることでしょうね。6枚ってそんなに短い時間では書けないものですから。


掲載者註:酷評さほりさんは1評30分くらいのペースで送ってくるんで、なんか時間感覚違うんだなと思います。掲載者は自作(約2000字)を作るのに書くだけで2時間以上かかったよ。酷評さほりさんまあまあ筆早くて草。


 しかしその一方で、では文章を書かないひとがこの作品を読んだらどうでしょう? という点がまず第一に引っかかりますわね。本作品は途端に、ホラーではなくただのコメディになってしまう可能性がございますわ。しかもそうとしか取れなくなった場合、句読点が多すぎて非常に読みづらい形になっておりますから、なんじゃこりゃとなる恐れがございますわ。
 それに、パックマンに本文を食べられたというアイディアそのものがどことなくチープな空気を漂わせている点も懸念されますわね。本文が書けなかった言い訳に終始しているという点を考えると、そもそもパックマンの存在が嘘という可能性もございますわ。そうなると本作は信用できない語り手の手法を使った言い訳小説ということになってしまい、途端に興ざめになってしまいますわ。言い訳ってとても見苦しいですもの。
 こうしたネガティブ要素をひとつひとつ見ていくと、開幕の画像一枚の時点ですでに読者離れを引き起こす恐れがあるというのも見逃せない欠点になりえますわ。なにしろなにが書いてあるのか一目ではわかりづらいので。これが横書きレイアウトの作品であればハッシュタグ含めてXへの投稿だと一目でわかりますけれど、横書きを縦書きに変えたときの魔力は人の判断力を簡単に狂わせてしまいますわ。画像の背景色を変えることができたのであれば、その点も考慮に入れて最初の一枚を生成してもよろしかったのでは。
 また、パックマンと言えばゲーム。ゲームと言えばファミ通。わたくしはこの作品を読んで、渡辺浩弐の小説を思い出しましたわ。本作はその短さと、本文が投稿できなかった言い訳をパックマンに押し付け、さらにそれが伝染性のものである可能性を示唆してホラーにすることでオチとしているショートショートとしても読めるんですの。でもそのような読みをした場合、本文が消えた理由がパックマンというネタばらしから、ウイルスかも、というオチまでの積み重ねが弱く、ゆえにオチのキレも弱いという弱点を露呈してしまいますわ。この部分、もうすこしパックマンについて掘り下げてから、あなたのもとにくるかもしれませんよ……という怖さを強調した方がよかったのではなくて。
 総合すると、細かいテクニックの積み重ねと、それに反する構成の弱さがせめぎ合い、なかなかのイグり具合の作品になってると言えるでしょうね。それに小説が投稿できなかった言い訳にパックマンを使うのはローズマリーでしてよ。率直に言ってアホですわ。
 そういうわけですから、わたくしはこの作品を2023年のイグゲームキッズ小説と呼ばせていただきますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)

2023年12月5日更新分

8.今村広樹『人生のハリ』

 アホ度:1 ※掲載者註:元原稿には0と記載がありました。
 イグ度:3

 Xのワンポスト(140字)におさまる非常に短い作品ながら、極めて批評的な態度が見える作品ですわ。本作品は多くの常識的な人間を串刺しにして去っていくところに真価がございますわね。
 この物語の中心となる「秋月国出身のある旅人」は、2020年代の価値観で捉えれば、かなり高レベルのヒモに見えなくもありませんわ。ところがこの旅人は、旅人なのですから自明なのですけれど、一所に留まるような生活はしておりません。ですから、三人称という疑似的な客観性によって描かれているこの作品は、実は読者に旅人のことを誤解させるような書き方をしているのですわ。かれは一人の女性に依存するタイプの人間ではなく、女性を楽しませた対価として旅費を得て旅をし、その結果として浮き名が流れるようになった、と考えるのが自然なのです。けれどこの作品はそうと書かず、最終的に旅人の生き方そのものを示すことによって作品を〆ています。
 かれのメンタルセットは台詞をそのまま引用すればはっきりしますわ。
「「わたしは人生を楽しんでますし、女性を楽しませています。皆さんみたいな辛い生き方は嫌ですから」」
 すなわち、旅人は自分と女性の両方を楽しませることを軸とした生き方をしており、その生き方を楽だと捉えているのですわ。そして「皆さん」という形で読者と自分を対照的に見るのです。つまり、人生を楽しんでおらず、女性を楽しませてもいない。それが苦しい生き方、というわけですわね。
 もちろん、ここで言う「皆さん」というのは、必ずしも読者のことを指してはいなくてよ。それは秋月国か、あるいはその他の国の、この作品を書いたと思われる人物の所属する社会集団かもしれませんわ。ところが、こうした想像の余地があるところに、本作品の致命的とも言える欠陥があるんですの。
 それはすなわち「旅人」と対立する要素である「皆さん」の性質が明示的でないことですわ。
「皆さん」の性質が明示的でないということは、読み手によって読解に幅が出ると言えば聞こえはよろしいでしょうけど、一方で明確な答えを作中から読み取れない不完全な作品とも言えてしまうんですの。短い作品であるがゆえに、読者の思考の焦点が「皆さん」の性質に引っ張られてしまうというのも、作品の切れ味を個人の思考に依存させてしまう不完全性に繋げてしまいますわ。世の中には真に都合のいい読者なんてそうそうおりませんので、本作に潜む強烈なアイロニー(それはすなわち、自分も他人も楽しませることができず、一人で勝手に苦しんでいるような生き方をしている人たちに向けられたものですわ)をひろく示すには「皆さん」という一単語に、あとほんのひとつまみの塩を振っておく必要があったと言わせていただきますわ。
 本作は軸に〈他人を楽しませる生き方をせよ〉という高☝貴☟なテーマが見えますので、アホ度は皆無の0ですわ。その一方で、要素の不足によって見本的なイグとなっておりますので、中央値の3を与えるにふさわしいと断言させていただきますわ。
 以上の理由から、本作をイグショートショート(見本品)と名付けることにいたしますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


9.小林猫太『有馬記念の予想』

 アホ度:-5
 イグ度:-5

 まず最初に本作の根本について書かなくてはなりませんわ。それは、競馬の予想というものは出走する馬が確定した状態でなされなければ意味がないということ。つまり、本作品は、その発表時期と合わせて考えるに、表題通りの『有馬記念の予想』として読むことは最初から不可能ということですわ。この点をまず念頭に置いて作品に相対しなければなりません。
 そうすることで初めて、本作は競馬というものに接する筆者の妄念の産物であり、イグろうとしてイグしているにすぎない哀しきイグブンゲイという読みに到達することができるのですわ。


※ちなみにですが、競馬における長期的な回収率——勝馬投票券(以下馬券)の購入金額に対する払戻金額の割合のことですわ——が高いひとは、自分の予想を他人に披歴しない傾向にありますわ。なぜなら、同じ馬券を購入する人間がいればいるほどリターンが少なくなってしまうので。ですから、本作を見て競馬に興味を持ったみなさまは、安易に他人の予想に乗っからない方がよろしくてよ。


 さて、本作をイグろうとしてイグしているイグブンゲイたらしめている要素は、本文中に大量のネタがばらまかれている点にありますわ。これらは本文内で明示的であることもあれば、元ネタを知らないとまったく通じないというケースもございますわね。よーく考えよう。お金は大事だよ。これは保険のCMの歌が元ネタですわ。木星帰りといえば『機動戦士Ζゼータガンダム』のパプテマス・シロッコ。退かぬ媚びぬ省みぬといえば『北斗の拳』の聖帝サウザー。最低限、このくらいはすらすらと言えるくらいの知識が求められてよ。
 また、本文内でギャンブラーのあるべきメンタルセットを書いたかと思えば、最後のオチはそれを裏切るような展開になっており、一見すると単に矛盾しているだけのように見えますけれど、これはつまり、作者がギャンブルに身を焼かれた悲しき亡者であることを示していると考えた方が自然ですわ。一度ギャンブルの沼に足を取られた人間は、多少痛い思いをした程度では治りませんの。——まあ、わざとでしょう。
 そしてもうひとつ重要なのは、この作品に登場する様々な固有名詞は読者にとって自明のものとして扱われており、結果として非常に不親切になっているということ。そしてそれが完全に作者の狙い通りだとわかるつくりだということ、ですわ。イグだからという看板を掲げて、出来の悪い作品の見本のような作品を書く。興ざめですわ。
 さらに俯瞰してこの作品を見れば、序盤は非常に饒舌なのに対して、後半になると急速に文字数が絞られているというのが見えると思いますわ。これはどういうことかと言いますと、作者の筆が失速してとりあえずとってつけたようなオチをつけて〆ておくか、という形で適当に話を終わらせたことを示していますわ。あなた、イグを無礼めてますの?


掲載者:酷評さんストップストップ! そこから先は酷評じゃなくてただの作者叩きになっちゃうから!
さほり:許せませんわ。わたくしのイグネビュラストームでぶっとばしてやりたいところですわ。それを文章で穏便に済ませようと——
掲載者:わかりました。わかりましたけどおちついてください。酷評さほりさんみたいにそうそうたる経歴のひとが個人攻撃したら作者のひとが社会的に死んじゃうから! だからやめましょ? ね?
さほり:酷評さほりが あらわれた!
掲載者:他人ひとのネタァ…… ※これ自体が他人ひとのネタです
さほり:酷評さほりは ザラギを となえた!
掲載者:ちっ、しょうがねえな! イグナイトファング!
さほり:ウワァウワァウワァ……
掲載者:月を見るたび思い出せ!


掲載者註:酷評さほりさん緊急入院により、『有馬記念の予想』に関する酷評はここで終了となります。やべえなあ。次の原稿いつくるかわかんねえぞ。あと5作品もあるけど大丈夫かな。まあ2061年の医療技術ならどうにでもなるか。ザラギ使えるならペボイミとか使えそうだし。っちゅうわけでね。本作品はイグしようとしてイグしてる作品だからアホ度もイグ度もマイナスの5ね。みんなはこういう作品書いちゃダメだぞ☆彡


※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)


2023年12月6日更新分

9.小林猫太『有馬記念の予想』(2回目)

 アホ度:1 ※掲載者註:元原稿には0と記載がありました。
 イグ度:1 ※掲載者註:元原稿には0と記載がありました。


 2023年11月29日 21:58に発表された本作品は、翌30日に発表されたイクイノックスの引退によって、ある意味ではイグとしての完成を、ある意味では未来予知としての完成を、それぞれ見たという奇妙な経緯をたどった作品ですわ。ですが、それは本題ではありません。
 本作はそこかしこに仕込まれたユーモアや、自身を揶揄するような記述から、表題通りの予想記事として読むことは困難になっておりますの。そもそも出走馬が確定していない状態で話される予想というのは与太もいいところ。その点に注意して本作に相対しなければ、この作品が文芸としてなにをもくろんでいたのかを読み取ることなどできませんわ。
 本作がイグの場に競馬の予想記事という形で突撃してきたのはなぜか。そして、その目的を考えれば、わたくしが本作にくだすべき酷評の在り方とはなにかが見えてきます。猫が来れば思い出す。遥かなイグ、遠いそら。
 いえ、実に素晴らしい作品ですわ。称賛に値しましてよ。この作品は競馬の予想というアンカー(先入観)を読者に打ち込むことで、その実態を容易に知られることがないように創られた自伝的文芸ですの。
 まず本作を際立たせるのはそのユーモアの使い方ですわ。自分自身を愚かなギャンブラーとして描くことによって読者にギャンブルに脳を焼かれることの愚かさを示す。次に自身と同じ文化を摂取したものでなければ容易に知ることのできないネタを投入することによって、一般読者の読解を阻害する。これらによって多くの読者は煙に巻かれてしまい、作品の実態を知ることは困難になり、かろうじて読み取れる「あ、この筆者アホですわ」という印象だけをかろうじて伝達することに成功しておりますの。
 さらに、競馬という、国家に承認された賭博行為でありながら、どこかスポーツ性を帯びた非人間の争う競技を題材に据えるところも見事な手腕でしてよ。同じギャンブルでも、これが競輪や競艇であったならば、この文芸の主題は人間というテーマから逸脱することはできなかったでしょう。パチンコやスロットでもそうですわ。それらは人為によってある程度結果が操作されてしまうもの。つまり人間から離れることができなくなりますの。
 ところがこの競馬の予想記事は筆者の興味を(本来であれば騎手という人間が介在するのですけれど)競走馬のみに絞ることによって、人間と馬という形で、要素を分離して見せることに挑んでいますわ。その代償として競走馬への知識を高度に要求する作品となってしまいましたけれど、それは前述の〈作品の実態を知ることは困難〉という大目的を同時に達成するための手段にもなりえますから、相乗効果によって読者をより強く突き放すことに成功しておりますの。
 他にもこの作品はその競走馬が育まれる過程でどうしても切り離せない人間の存在をあえて無視することによって、まるで競走馬自身が自らの意志でそこに存在し、強く走ることを自明のものであるかのように書いていますわ。本来は決してそんなことがあろうはずもなく、競走馬は人間の都合により繁殖させられ、走ることを当然とするように調教され、そして鞭を打たれながらコースを走りますの。もちろん、こういう表現は露悪的ではございますけれど、競馬の一側面として意識しておかなければならない問題ですわ。
 この作品は、ではどうしてこうした側面を描かず、人間と馬とを対比しながら、自ら(筆者)のことをひたすらに卑下し、愚かに描いていくのでしょうか。そして、どうして競走馬というものにそこまで執着しなければならなかったのでしょう。
 その点に、本作の真価があるのでしてよ。
 高☝貴☟なる義務ノブリス・オブリージュを実践するわたくしがあえて断言いたします。この作品は人間というものが自らの思考(=行為)によって競走馬(=争い)の趨勢について語ることの愚かさについて指摘している作品なのですわ。そして本作に「有馬記念を外しても東京大賞典がある」と書いてあるのは「失敗しても次がある」と伝えたいのではなく、「失敗したらもう次はない」というのが、真に示したい内容だと考えるのが正しいのです。
 結論を申し上げますわ。本作は競馬の予想という体裁を取り繕って打ち出された反競争的思想小説ですの。すなわち、アンチBFCの精神を自ら体現しようとする著者・小林猫太氏の思想が完全に反映された成果のひとつと受け取られるべきでしょう。
 だからこそ——そう、イグとして完璧であるからこそ、本作はアホではなく、そしてイグでもないのですわ。なぜなら、これこそが真のブンゲイなのですから。よって、本作はアホ度もイグ度も永遠の0ですわ。
 わたくしにここまで言わせる作品は久しぶりでしてよ。この作品には酷評さほり特別賞として、ジャン・コクヒョー勲章を授与いたしますわ。これからもイグの精神を体現する真のブンゲイファイターとして 高☝貴☟なる義務ノブリス・オブリージュを実践することを期待いたします。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)


10.乙野二郎『くれいどるえんど』

 アホ度:2
 イグ度:2

 あらかじめ申し上げておきますけれど、本作は人造イグですわ。ですがコンテストに設定されたテーマそのものに切り込むことによって、文芸という人造の極致に至ろうとする努力が見られます。よって、人造のくびきから脱して、わずかな自然のイグを獲得することに成功していますの。
 ここで読者の皆さまに、人造イグと天然イグの明確な見分け方を教えましょう。まず、人名。ここにふざけた名前が設定されていたら、それは高確率で人造のイグですわ。本作は開幕で「としあき」という名前が示されておりますが、これはニコニコ大百科(仮)によれば

としあきとは、ふたば☆ちゃんねる、特に二次元裏虹裏)の住人の事である。

著者不明,としあき,ニコニコ大百科(仮),https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%82%E3%81%8D,2023年12月6日参照

 とあるように、ネット上で使われる匿名の象徴たる記号ですわ。こういう言葉を意識的に織り込んでくる時点で、その作品は自らイグになろうとしている可能性が高いと示唆されますの。
 また、人間が凱旋門賞に出ようとするというのもおかしな話ですわ。凱旋門賞というのはWikipediaによれば

凱旋門賞(がいせんもんしょう、フランス語: Prix de l'Arc de Triomphe)は、フランスパリロンシャン競馬場(改修工事の際は、シャンティイ競馬場)で毎年10月の第1日曜日に開催される競馬重賞G1競走である。距離は2400m。ヨーロッパ最大の競走の一つで、国際的に著名なスポーツ催しである。

著者不明.凱旋門賞,Wikipedia,https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%B1%E6%97%8B%E9%96%80%E8%B3%9E,2023年12月6日参照

 とあるように、そもそも競走馬の出るものですから、これが『ウマ娘 プリティーダービー』の二次創作で「としあき」がウマ娘であるか、あるいはこの世界には凱旋門賞という人間の走る催しがあると考えない限り、単純に登場人物がアホであることを示すために使われた単語だと考えるのが自然ですわ。おそらく、大多数の読者も「それは馬の出るレースですわ」とツッコミを入れたことでしょう。(ところが作中ではごく自然に凱旋門賞に関する会話が成立しておりますので、この作品はウマ娘だったのかもしれません)
 極めつけはオチですわ。ふたつの死体を丸坊主にしてからのこの台詞。

「和尚がⅡ、和尚がⅡ」

乙野二郎,イグBFC4幻の決勝戦作『くれいどるえんど』,https://note.com/otsunovel/n/n48ff92c42d9a,2023年12月6日参照

 作中に様々なアホ要素をばらまきながらも、最終的にはとても笑えない状況を作りあげていき、お正月と和尚がふたりをかけたジョークをオチに据える。読者にわざとらしくイグ味を感じさせるこの手法は非常に伝統的なもので、らーめん才遊記らーめん発見伝の登場人物が犯したミスに倣い、鶏油を浮かべる行為と言えるでしょう。


掲載者註:一応補足しておくとわざとらしいイグ味を鶏油とか言い始めたのはイグナイトファングマンa.k.aサクラクロニクルで、それも初出かどうかわかんねえっス。事実確認が甘くてサッセーン。

註2:らーめん才遊記→らーめん発見伝が正しいので修正しました。


 さてここまでつらつらと書き連ねてまいりましたけれど、本作は最初からイグを書こうとしているうえ、イグに使われるさまざな手法を一作に詰め込んでおりますので、イグを知るために見本的な作品となっていますわ。
 その一方で、本筋は〈アホ〉という言葉の多様な受け取り方について示すような、真面目な作品になっていますの。特に人間の生き死にに対して使われる〈アホ〉という言葉と、それによって発生した「としあき」の心の傷。「としあき」に限らず商品名に関する〈アホ〉や縦書きを想定されていない文字列を縦書きに置き換えることで発生する読みづらさという〈アホ〉、人間の虚栄心を指す〈アホ〉、知識に乏しいことを表す〈アホ〉に駄洒落から感じ取る〈アホ〉、それらを過剰摂取することによって発生する、読書自体が無駄だったのではという〈アホ〉らしさ——ここまで徹底してやられると、時間の無駄をさせられたのではと疑問に思うほどですわ。
 その結果として発生する〈この作品、アホですわ——————!〉というなんとも白けた読後感。その想起こそがこの作品の目指すところであり、人造イグの目指すところですの。
 ところがこの作品、根が非常に真面目に作られておりますので、文章全体のバランスは良く、作品のテイストは非常にビターとなっておりますの。背景色がおちついている点もマイナスに働いていますわね。どれだけアホ要素を突っ込んでも、あまりにも根本が端正であるがゆえに、どうしてもアホが分離して感じられてしまう。するとなにが起こるか。
 瑕疵はないのに〈この作品、つまらないですわ——————!〉という、なんとも白けた読後感(二度目)が表出してきますの。いえ、こんなこと感じる時点でもうそれ自体が通常なら瑕疵なんですけれど、ぜんぶ狙ってやっているでしょうから、それを瑕疵と呼ぶことはできないと思いますわ。
 そしてこのお話をプロットに還元しますとクライムノベルになりますわ。犯罪とアホがイグ要素によって分離したとき、わたくしたちはそこに鶏油の雑味を感じるのです。イグを達成しようとした結果、イグそのものが作品の邪魔をしているように感じてしまうなんて——それはイグとして失敗なのではなくて?
 でも、ですから本作はちょっぴりアホで、ちょっぴりイグと言えるのでしょうね。というわけで、わたくしは本作をちょっぴりイグクライムノベルと名付けることにいたしますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


11.やつかさ『回文世界記録』

 アホ度:0 ※掲載者註:元原稿通り0にしてます。
 イグ度:3


掲載者註:酷評さんの容体が悪化してきています。

おまえのせいだ。


 音読すると回文になっているテキストで構築された世界について書かれた記録、というていになっておりますわ。本作はイグやアホを達成するために過剰なまでの連続が用いられており、普通に読むだけでも一苦労となっておりますわ。構造自体は単純であるのに実際に読もうとすると負荷が高いというのは、純粋にリーダビリティが低いだけでしょう。
 そして過剰な連続は文章を画像化してとらえられやすくなってしまうという弊害があり、本作も文章を〈読む〉というよりは〈見る〉という趣が強くなっておりますわ。もっともここはイグの場ですから、文章の意味を無価値化しようとする試みがあるという可能性も念頭に置く必要がありますわね。
 本作を真面目な観点から読み解こうとするのであれば、一定回数以上連続する語と、連続しない語とを切り分けて考える必要があるでしょう。そしてこの「回文世界」において発生した事象は、実はそれほど多くありませんわ。たとえば「死の金具は剥ぐ中の死」ゾーンの中にこっそり仕込まれている「篠か凪ぐはハグ中野死」であったり、全体の30%以上を過ぎて「狩野氏きてしまいまして」から始まる「きてしまいましてき」ゾーン、そこに含まれる「き手師舞いましてき」など——画像しかないため解読にやや手間がかかりますが、意味を取るべきテキストはそれほど量が多くないため、めぼしいところに印をつけて飛ばして読めばよいと思いますわ。
 そして本作を読んでいきますと、なにやら不穏なワードである「敵」がやってまいりますわ。そして読みの分岐点が「そして来て始祖狩るか阻止敵てシソ刈るか」で訪れます。ここをどう解釈するかで、本作はその色をおおきく変えますわ。その判断に使うのは最後に書かれる「過疎指摘。」——ここから考えるに、わたくしはこの作品をバッドエンドだと解釈いたします。すなわち、人類の敵たる始祖が訪れ、この始祖を狩ることを敵に阻止され、シソ刈るかそして来て……と繰り返していくうちに、過疎となってしまう。つまり人類は劣勢に追い込まれ、もはや滅亡目前というところで物語が閉じられる、というわけですわ。
 この作品はもう、見た目からしてわざとアホっぽくしようとしているわけですから、ド級の真面目ド真面目ということで、アホ度は0ですわ。その一方で、リーダビリティは最悪ですし、読みの分岐点の解釈はしづらいですし、途中でなかなかしょうもないテキストを挟みこんでくるなどのイグ工作がすべて噛み合って、一般読者でも〈こいつはダメですわ————!〉と納得することが容易です。ですから、正常なイグ作品と認めてイグ度は3でよいでしょう。
 結論ですわ。本作はその特徴から、イグ回文伝奇小説と名付けることにいたします。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


復ッ
活ッ

酷評さほり
復活ッッ


※自身のSAN値チェックは随時行ってください。(大切)


2023年12月7日更新分

12.夏川大空『あいうえお』

 アホ度:1
 イグ度:1

 あいうえお作文の形を取った恋愛小説ですわ。登場人物を「ちめいどのないかしゅ」「つとめにんのおっと」に絞り、ひらがなで綴られた心情の描写を「ちめいどのないかしゅ」の視点から読み解けばよろしくてよ。
 イグとしてのテーマである〈自分がアホであると思うもの〉のほとんどを〈あいうえお作文〉と〈全文ひらがな〉に依存しており、ときに「せかいせいふくする」「はんざいをおかしたととも」など不穏なワードが見られることもありますけれど、それらも含めて「ちめいどのないかしゅ」が生きる日常生活を活写した作品と読めますわ。ゆえに〈全文ひらがな〉という点はむしろ表音文字のみで作品情報を伝達することでやわらかなイメージを与えることに貢献しているというわけですわ。
 しかしそう読んでしまうと、〈どこがアホですの——————?〉ということになってしまいます。そうです。かすかにアホでかすかにイグなのは、作品を作るためのフレームにアホとイグを依存させてしまった結果、本文に添加したはずのイグ要素が台無しになっているところにありますわ。
 最初のあいうえおだけでも、一行につきひとつの要素を簡潔に提供していくところがよいですし、要素のつながりを意図的に寸断することで、ひとつひとつの心情がより際立つように構築されてしまっておりますわ。おそらくは狙って無茶なワードを投入し、その適当さによってイグを達成しようとしたのでしょうけれど、突出しておかしなワードは「せかいせいふく」程度で、これさえも〈全文ひらがな〉の魔力の前ではふんわりとやさしいイメージとなってしまい、結果として十分なイグ効果を発揮できずに終わっているのですわ。
 まとめると、アホでイグなものをという意志を〈あいうえお作文〉〈全文ひらがな〉という形式から感じる一方で、それが原因で些末な工作のすべてを破壊しているところに微弱な天然イグが発生しております。ほんのりアホで好感を持ってしまいましてよ。
 結論として、本作をイグあいうえお恋愛小説と名付けることにいたします。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


13.さむぇんぷてぃ・おーぶん『ねたばらし』

 アホ度:2
 イグ度:0 ※掲載者註:元原稿通り0にしてます。

 松本零士『銀河鉄道999』を下敷きにしたパロディSF掌編ですわ。そしてその中枢に、いわゆる一般的に性癖と言われている〈ジャンルの確立されている性的嗜好〉を混ぜ合わせた内容となっております。Xにいるとちょくちょく流れてくる定番の「ヘキ」ネタでございますわね。
 本作品はライトノベル的な勢いをつけるために「メーt「」や「メー「」などの手法が使われており、これによって元ネタがよくわからなかった人でも〈これってメーテルですわ——————!〉となることが容易になるよう作られておりますの。キャラクターの知名度を利用した仕事ですわね。
 本来こうした作品は大喜利的に流行した作品で多用されるもの。そこをあえていにしえの鉄板SF作品で打って出てくるあたりに、本作が目指したアホのありさまが見て取れると言ったところですわね。それに、知識がなくともこのシーンは意味がわかりますから、シーン選定も完璧ですわね。あらためてメーテルの説明口調はミントですわ。
 この作品、これくらいしか言うことがありませんわ。単純明快、形式完璧、内容もアホで笑ってしまいますわ。原作の雰囲気と「ヘキ」の落差で、往年のSFファンはみなやられてしまったのではないかしら?
 そして、完璧にパロディフォーマットをやり遂げてしまったことで、本作はイグとは呼べなくなってしまっておりますわ。本来であれば見本的なイグとされるのでしょうけれど、この作品のおもしろさはフォーマットと組み合わせの妙に支えられており、文芸的な挑戦という意味ではいまひとつであり、完全にX大喜利の文脈で読むことが可能であることから、オルタナティブでもありません。
 以上の理由から、本作品についてはX大喜利ショートショートと断言させていただきますわ。光栄に思ってくださいませ。
 それではごめんあそばせ。おほほほほほ。


14. げんなり『がっちがち』

 アホ度:Euclid
 イグ度:Euclid

〈ないないないないこれはナインライヴス——————!〉

 きーたーきーたーきーたーきーたーきーたーきーたーきーたー


掲載者註:酷評さんが危篤状態に陥りました。

おまえのせいだ。


作品番号:IGB-4014-I

ブンゲイクラス:Muda

特別収容プロトコル:IGB-4014-IはNote記事としてサイト‐■■■■に収容します。本作は時間の無駄ユーモアSF掌編です。読まないでください。作品読解の際は対ミーム汚染用ワクチン・タイプイグを事前に接種してください。また、基礎教養としてフィリップ・K・ディックや神林長平などのSF作家の作品や仮面ライダーV3などについて知悉してください。本作に曝露し突発的な衝動が発生した場合、ただちにトランクスキライザ・プロトコル119に従って鎮静を行ってください。この鎮静により正常化テスト556をパスできなかった場合、対象を速やかに終了させます。

説明:IGB-4014-Iは日本語で構成されたユーモアSF掌編です。なかなかおつむに来てしまってる主人公が第四の壁を突破(すなわち、読者に話しかけることを指します)しながら、銀行強盗をする過程が描かれます。銀行強盗の際にはプリングルズの入れ物による恣意的な時間停止作用が描かれます。この描写から、プリングルズの入れ物はSCP-■■8■-JPだと推測されます。本作品には強力な本文歪曲特性が見られ、その推定ヒューム値はおよそ0.■■■■です。そのため、プリングルズがプリングルスになったりという事象がしばしば発生します。また、本作に登場する宇宙刑事はエージェント・■■■ンである可能性があります。本文内で発生する他作品への減給言及や第四の壁の突破は単純なSFあるあるではなく■■ド■■■の影響がある可能性があります。本作は最終的に適当なメタフィクションであり茶番であることを自白して終了します。この際に発生する■情■結作用により、突発的な衝動が発生すると共に、その感■凍■作用の影響で永久に衝動的になる場合があります。これらの異常特性から、IGB-4014-IはIGBオブジェクトとして財団に収容されました。

執筆:IGB-4014-Iは度重なる締切延長の末に2023年12月2日 02:49に発表されました。執筆の経緯は不明です。作者はイグBFC■Φなる・あぷろーちファイナリストの[データ削除済み]氏です。らりるれろらりるれろらりるれろ。

補遺1:本作に曝露した■■■■■■■■氏に対しSCP-■■■■-Jを用いた鎮静を実施した結果、精神の成城化正常化に成功しました。その後Dクラス職員[データ削除済み]名を用いた汎用化過程を経て、トランキライザのアトリエ・プロトコル119が確立されました。

補遺2:本作をドッカンドッカン読解した際に発生するミーム汚染現象をIGB-4014-I-Aと呼称します。このミーム汚染により記載中のテキストにナンセンスな文字列を混入させる現象が発生します。この汚染に対抗する為、SCP-■■■■を用いた対ミーム汚染用ワクチン・タイプイグの接種が推奨されます。すでにミーム汚染されたと思わしき■■■■■■■■氏は[データ削除済み]です。

■■■■■■■■氏:ふざけたもの書きやがってよ。イグだからってなんでも許されると思ってんじゃねえぞ。こんな量産型のイグSF掌編書きやがって。読者が許してもこのオレが許さねえ。日輪の力を借りて今必殺の断空砲トランザムライザのアトリエふうらいまつくうねるところにすむところエンゲイザー。
小林博士:ておくれだ。
■■■■■■■■氏:なんか出て来たー。やっほ。
小林博士:カワバンガ! 神ヨ ロビタヲ 救イタマエ!
(発砲音)
小林博士:やっちゃった。
D-■■■:うふわ。しょりへさ。12 どう ヒテッマン
小林博士:こいつはやべえ。
(発砲音)
小林博士:国際救助隊えもーん!
(いつもの曲)

デレデレデェェェン。


 NKT……。


補遺3:本作を読むとどうにかなってしまいそうになるので、心に十分な余裕があるときにだけ読むようにしましょう。あといくらなんでも内輪ネタ使いすぎだから。それみんな擦ってるから。サインコサインブイサインだから。マジでこんなしょーもないもん連打しないでくりゃれ。アホだけど人造すぎるし、こういうのよく見るから2くらいね。イグっぽいなぽいなぽいな。とぽいなが1たす2たす1たす2たすサンバルカン。3アタック。


補遺4:終わりだ。酷評はな。











あとがき あるいは、酷評さほりの遺書

 ……。

 そう。

 この文章を読んでいるということは、わたくしはもう死んでいるということですわね。

 脳をだめにするまっきー癌にかかってから、わたくしの人生はもう終わったものだと思っておりましたの。文章の認識ができなくなり、言葉もうまく発せなくなり、唯一まともに動く指だけを頼りにしておりますけれど、正確に変換できているか自信がなくてよ。ワーカムがどうにか文章を整形してくれているとよいのだけれど。

 でも、神様はわたくしに、イグBFC4幻の決勝戦という、とても素敵な幻覚ビジョンを見せてくれました。それは奇しくも、わたくしが生まれる直前に、わたくしの母語である日本語によって構成された文芸作品たちでしたわ。

 わたくしが去年受賞した小林猫太賞関連で、偶然にもイグBFC4までは電子媒体で読んだことがありましたの。ですから、イグとはなにかということについては、多少の心得がありましたわ。
 それにしても、負け抜け作品を決めるだなんて、なんとも醜悪なイベントですわね。
 でも、そんな場所にわざわざ作品を投稿し、あるいはそんな主催者を受容し、イベントを最後までやり通した。そんなひとたちがいるというのは、とても酔狂である一方、とても尊いことだと思いましてよ。
 なぜなら、ひとは価値を求める生き物だから。
 なぜ不名誉な場に作品を。その先にはなにもないかもしれないのに。それどころか、損害を被るかもしれないのに——そう考えるとき、わたくしはそこに情熱の火を見るのです。それがいったいなにによって発火し、なにによって燃え続けるのかはわかりません。それはひとぞれぞれなのでしょう。ですが、自分の作ったものを読ませたい、作品の価値を確かめたい、そんな感情はいまでもまだ普遍的なものとして生きておりますわ。そして、良きものだけが残り、悪しきものは消えていく。そんな世界。
 そんな世界で、わざわざ悪しきものを書くこと。無価値なものを書くこと。その価値、いいえ、意味とは、なんでしょうか。
 おそらくそれは、わたくしがこの世界に生まれてきた意味と響き合う、たったひとつの答えにつながっていると思いますの。

 だからわたくしも、これを最期という気持ちで酷評を書きました。

 きっとあなたたちのうちの何人かは、わたくしの知っている形で、いまにまで残るような作品を書くことになるのでしょう。寡聞にもわたくしが知らないだけで、あるいは、そうと認識していないだけで。
 そういえば、小林猫太という名前の方が、幻の決勝戦にもおりましたわね。あらいやだ。どうして気づかなかったのかしら。この酷評、うっかりしておりましたわ。

 万事が万事、こんな具合。
 酷評は今日も元気に酷評しておりますわ。
 ですから皆さまも、その心のままに創作に打ち込んでくださいませ。
 酷評など、無漏路への道行を照らす灯火に過ぎませんわ。
 進むのはあなたたちです。
 生きてさえいれば、案外どうにかなるものですわ。


 ・・・そろそろじかんですね。


 みらいでおまちしております。
 それではみなさま、ごきげんよう。

 おほほほほほ。






業務連絡

酷評さほりさんからの未来原稿が届き次第、随時更新します。
 あとあまり本気にしないでください。忙しいオレのために。

 ついでですが、酷評さほりの中の人も募集してます。ひとりでこれぜんぶやるのか? マジでつらいんで助けてください。語尾に適当にですわとかつけとけばなんとかなるんで。マジでつらいんでね。お願いしますよマジで。

 酷評さんからの未来連絡が途絶えました。
 おそらく、彼女はその役割を終えたのでしょう。
 向こう側の世界でも元気に八つ手ビームサーベルを振り回していることを祈ります。
 さようなら酷評さほり。
 おまえがイグ酷評ナンバーワンだ。

 ……で、結局責任取るの中のひとのオレなのかよ!
 くたばれ酷評さほり! 二度と出てくるなよ。



おわり



 ご愛読、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?