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新しい語彙
すごい言葉に出会いました。
有身見(うしんけん)。
自分という実態があるという意識。とくに、自分の身体と自分を一体のものとしてとらえることらしい。仏教でいうところの5つの間違ったものの見方(五蘊)のうちの一つ。まだ信頼のおける文献に当たっていないので、「らしい」という理解でしかありません。
なんということでしょう。図らずも、いがらっしこの見解から解放されていました。すごいぞ、私。ご褒美にアイスの一つでも。
自分の書いたもの引用するなんて、一体全体どういうつもりだ、と自分でツッコミながら紹介してしまおう。statement:ダンサーを記録する2020-2021という、京都芸術センターの協力により実施されたプロジェクトで制作した冊子に掲載したものから一部引用します。
自慢のつもりではなく、有身見という言葉に出会う前に、そのような見解をもっていたよという、時系列の証拠のためです。
「死の体験から持ち帰った確信は、私の身体は私の所有物ではない、ということだった。具体的には私の身体は私のコントロール下などにはないということ、私たちが自己の核心であるとする自我など、全体性の中では取るに足らない一つのセンサーに過ぎないということだ。」
ほらこのとおり。
だから何だといわれるとぐうの音もでないのですが。
熱心に修行して手に入れようとするようなものが、するっと自然に手に入っちゃうこともあるってことなんですよ。
生きているってのは。
タイミングというか、いろいろな要素が偶然に出会ったりぶつかったりした瞬間に何かがスパークして、なんでもないいがらっしに降ってくる。複雑な何万もの球で行う広い広いナインボール(ビリアード)みたいです。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってのは、自虐風味かもしれませんが、最強の戦略かもしれません。
時間と空間と気力の限り、何でも試したいです。
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