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プロレスの歴史が変わった瞬間

こういうXの投稿を見た

プロレスの歴史が変わった瞬間と思った試合、自分も長年プロレスファンをやって、そういった試合を見てみたが、その中で5つをあげるとすれば

①アントニオ猪木vsハルク・ホーガン(1983年6月2日 蔵前国技館)
②天龍源一郎 スタン・ハンセンvsジャイアント馬場 ラッシャー木村(1989年11月29日 札幌中島体育センター)
③三沢光晴vsジャンボ鶴田(1990年6月8日 日本武道館)
④棚橋弘至vs後藤洋央紀(新日本プロレス 11月11日 両国国技館)
⑤オカダ・カズチカvs棚橋弘至(新日本プロレス 2012年2月11日 大阪府立体育会館)

①は猪木が世界統一を掲げてIWGPを提唱、優勝決定戦でホーガンと対戦し、誰もが猪木が勝つことで最高のフィナーレを飾ると思われていたが、猪木はホーガンにKO負けという壮絶なラストとなった。
この試合に関しては様々な説が出ているが、わかることは猪木の側近である新間寿氏的には猪木が優勝することで、ハッピーエンドを描いていたが、猪木は負けることでIWGPの名声を高めることを選び、新間氏の期待を大きく裏切った。だがこの時の猪木は選手として下り坂となっておりピークが過ぎ、対するホーガンは猪木に勝ったことがきっかけになって、アメリカで英雄的な存在として祭り上げられていった。翌年の再戦では猪木がホーガンにキチンとした勝ち方が出来なくなったことで、今でもIWGPの名声は上がったがレスラー猪木としては最大のミステークだったと思っている。

②は天龍が同日に行われたUWF東京ドーム大会に対する反骨精神もあって、馬場さんからピンフォールを奪うという大きなインパクトを出した。天龍が「この勝利はドームより重い」とコメントした通り、ジャンボ鶴田さえなしえなかった馬場越えを達成してしまったことで、天龍にとって”全日本プロレス”というものが一気に圧し掛かった瞬間でもあった。だが、天龍は3月に全日本プロレスを去ってSWSへ移籍したが、今思えば馬場さんに勝ったことも、天龍が全日本プロレスを退団するという大きなきっかけになったと思う。

③は天龍が去った後に三沢が台頭するきっかけとなった試合で、実力的にも、まだまだ絶頂期だった鶴田に、まだ自分のプロレスを完成しきれてなかった三沢が鶴田に勝ってしまった。それと共に三沢に大きなプレッシャーが圧し掛かっていったが、三沢が本格的に全日本プロレスを背負うようになるのは鶴田が病気で一線を退いた1992年からで、そこから全日本プロレスは四天王プロレス時代へと突入していった。

④は新日本プロレスからアントニオ猪木が去り、ユークス体制となっていた新日本プロレスは、まだまだどん底の時期で観客動員も低迷していた。棚橋vs後藤が行われた両国大会も最低の観客動員を記録したが、その中で棚橋と後藤が全てを出し尽くしてぶつかり合って、最終的に棚橋が勝った。今でもこの試合は新日本プロレスにとって復活の狼煙をあげるきっかけとなった試合だった。

⑤は俗に言うレインメーカーショックと言われた試合だったが、新日本プロレスはユークスからブシロード体制になったばかりで、最初に行われたのがオカダvs棚橋だった。自分はオカダではキャリアが浅い、棚橋が勝つだろうと思っていたが、オカダが完勝してIWGPを手にしたことで、時代を大きく変化させ、新日本プロレスはユークス時代からブシロード時代になったことを痛感させられた試合だった。

他にも武藤敬司vs髙田延彦などあったが、自分はこの5試合をあげて見たいと思う。


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