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プロレスでいう影響力って何?

「小川さんが否定しないから小川さんがいつも悪者じゃないですか!」
「いいんだよ。俺には面と向かって言ってこないけど、あっちは本当のこと言ったら潰されるんだから」と自分の立場を盾にして選手を守る人。

今回のことは分からないけど、また悪者。

そんな人だから人がついて行く。

今回のロッシー小川氏の一件を受けて、スターダムのGMだった風香(アクトレスガールズアドバイザー)のブログから引用させてもらったものだが、選手を守るためなら、敢えて悪者にもなる、それが小川氏が選手に慕われている要因の一つなのかもしれない。

一個人の影響力というものは、プロレス界でも大いに見せつけられた。

1990年に天龍源一郎が全日本プロレスを退団してSWSへ移籍した際には、天龍が全日本プロレスから誘ったのは付き人だった折原昌夫だけだった。天龍を慕ってサムソン冬木(冬木弘道)、北原光騎も移籍、いわゆる天龍派閥が追随するが、なんと天龍の移籍がきっかけになったのか、全日本プロレスに不満を持つものが、続々とSWSしてしまい、天龍も自分の意志とは別に反馬場のリーダー格に祭り上げられてしまったことで、週刊プロレスのバッシングに晒されてしまった。

2000年になると、天龍の後を受けて全日本プロレスの中心になった三沢光晴も退団して、NOAH旗揚げへと動いた。当初は三沢も少ない人数での独立を考えたが、田上明や小橋建太を始め、選手やスタッフの大半が三沢に追随してしまった。ほとんどの選手は三沢を慕って動いたものだが、一部には三沢についていけばギャラが上がると考えて移籍したにすぎないレスラーもいたという。

2002年には武藤敬司が新日本プロレスを退団して、全日本プロレスへ移籍、これは武藤の影響力ではなく、アントニオ猪木への反発が主な要因だったと思う、格闘技路線を推進する猪木に、武藤と主要スタッフが反猪木派となってこぞって退団、武藤に誘われた小島聡は追随を選んだが、同じく誘われていた棚橋弘至は追随せず、新日本プロレスに留まることを選んだ。

ブシロードファイト側が怖れているのは、例え自分が悪人になっても選手は守るという小川氏の影響力で、この時点で追随するために契約切れをもって退団することが決めているということだから、どれだけの規模で選手が離脱するのかわからない状況だ。

ただ、小川氏も円満退社を待たずに排除という形で裏切られたブシロードファイトには怒ってはいるが、自分が育てたスターダムを潰すのは本意ではない、理由は潰しにかかったら自分自身を否定することになるからだ。だから選手には無理強いはさせない、選手らの判断、選択にゆだねていると思う。

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