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伊賀プロレス通信 note版

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伊賀プロレス通信のnote版、普段のHPの更新と違って思ったことを書きます
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#新日本プロレス

登別騒動ついての私見

先日、新日本プロレス登別大会に参戦した議員レスラー、斗猛矢がこんなポストをXで更新した。 現在斗猛矢のアカウントはロックをかけていて見れない状況となっているが、登別大会を開催出来たのは、登別市長と斗猛矢のおかげだとした。 これを受けて登別観光大使を務める矢野通はXで投稿 矢野自身は新日本プロレス側の配慮が足らなかったとして謝罪したが、 自分的にはこう思った。

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令和のストロングスタイル

永田裕志「棚橋弘至になってストロングスタイルに目を背けたのに、どっかでストロングスタイルは死んではいなかった、彼らはまだストロングスタイルとは何なのかわかってないと思います、だから戦っていくことで一つの答えを出そうとしているんじゃないか」 先日、新日本プロレス後楽園ホール大会は新日本プロレスWORLDだけでなく、SAMURAI TVでも生中継されることから、実況席が設けられ、SAMURAI TVっ側の解説には永田裕志が入っていたが、第3試合の上村優也&本間朋晃vs成田蓮&金

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ALL TOGETHERと全日本プロレス

6月15日北海きたえーるで開催される『ALL TOGETHER in SAPPORO ~能登半島復興支援チャリティ大会~』の全カードが発表された。 5月6日、日本武道館で開催された時は6団体が参加したが、きたえーる大会は同日に大会があるDRAGON GATEが外れたため、1団体減って5団体、おまけに全日本プロレスが当日オフにもかかわらず不参加となった。

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無理をすることが美徳という時代ではない

最近こういう一文を目にするようになった 棚橋弘至が新日本プロレスの社長になってからケガや体調不良によって欠場する選手が増えてきているというのだ。 こういう指摘を受ける原因はSANADAと辻陽太が体調不良に欠場しているからだろうが、コロナ渦になってからは、ちょっとした発熱でも会社から休めと言われるケースが増えてきているし、それはプロレス界でも例外ではない。まして最近は転向によって気温の温暖差も激しく、今日暑ければ、翌日になれば寒いなど、極端に変わっている。 ちょっとした発

新日本プロレスの子会社になったスターダム

23日、新日本プロレスがスターダムの親会社である「ブシロードファイト」の全株式を取得、完全子会社化することで、事実上スターダムを傘下にすることになった。 子会社化する目的は、両団体の連係を強めるためと言われている。 おそらくだが、新日本プロレスがスターダムを子会社化することは、棚橋弘至社長体制が発足してから動いていたとみていいだろう。 新日本プロレスとスターダムが同じブシロードの系列になってからは、CyberFightの中にDDTやNOAH、東京女子プロレスがあるように

想いと覚悟

新日本プロレスの春の本場所「NEW JAPAN CUP 2024」は辻陽太が後藤洋央紀を破り優勝を果たした。 優勝決定戦当日は後藤の優勝を願っていたファンが多かったと思う。このところYOSHI-HASHIとの毘沙門でタッグ中心となっていた後藤が優勝決定戦に進出するのは8年ぶり、春男と言われ3度優勝していたが、優勝からも12年も遠ざかっている。優勝すればIWGP世界ヘビー級王座へも挑戦できることから、キャリア的にも後藤にとってラストチャンスだと思って優勝決定戦に臨んだと思う。

スティングと日本プロレス界

3月3日 アメリカプロレスで長らくトップを張ってきたスティングがAEWノースカロライナ州グリーンズボロ・コロシアムで引退することになった。ノースカロライナ州はかつてジム・クロケット・プロモーションがあった場所、スティングは敢えてその場所でプロレス人生に幕を下ろす スティングの存在が知られるようになったのは1988年、WCWを主戦場にしていたスティングがグレート・ムタとの抗争を繰り広げていたが、そういった意味では日本で知られるようになったのは、ムタのおかげなのかもしれない。

ピンチを救えた者こそ、チャンスが来る。

新日本プロレスを退団することを発表したオカダ・カズチカが退団の真相を明かしたが、その際にこういう発言をした。  オカダ これからの新日本プロレスに一つだけ言えるのは、全然チャンスじゃないよっていう。僕がいなくなったから席が空いたとかじゃなくて、確実に言えるのはピンチだよって。次の世代が『よし、これはチャンスだ』と思うのは確実に間違いだと思うんです。このピンチを救えた者にチャンスが来るというか。 オカダが抜けたからってチャンスではない、ピンチを救えたものにチャンスが来る。こ

ブシロード体制の始まりから、オカダ・カズチカの時代は始まった

2012年1月31日、新日本プロレスがブシロードの傘下になったことが発表された。この時、自分はNOAH津大会を観戦するために三重県総合文化センターを訪れていたが、たまたま新聞記事を一緒に見ていたNOAHの仲田龍さんは「時代は大きく変わるよ」と話していた。

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オカダ・カズチカが選んだ一歩踏み出す勇気

新日本プロレスがオカダ・カズチカが1月末日をもって退団し、2月24日の北海きたえーる大会をもって新日本プロレスを去ることになった。 オカダは昨年末からWWEへ移籍が取り沙汰されており、その時点では、「これからも新日本プロレスで頑張りますよ」と打ち消してきた。 ファンとしても、これから棚橋弘至が社長兼務で一歩退く機会も多くなることから、オカダには棚橋に代わる新日本プロレスのエースになって欲しいことに期待していたと思う。 オカダの出した選択は一歩踏み出す勇気で、オカダは新日

社長になってからの棚橋弘至はどうなるのか…

獣神サンダー・ライガーが東京スポーツ誌上で 新社長に就任した棚橋弘至に出場試合数を絞ったほうがいいと提言していた。 それは今の時代はレスラー兼任社長の時代ではない、特にNOAHの初代社長だった三沢光晴は四天王プロレス時代のダメージがあったにもかかわらず、社長という激務をこなしながら、”自分が出ないと観客が来てくれない”と責任感から試合に出場し続け、最終的にリング上での事故に繋がったケースもあることから、先輩であるライガーなりの棚橋なりのアドバイスかもしれない。 新日本プ

AEWと契約、柴田勝頼の最終章

柴田勝頼がAEWと契約を結んだことを発表した。 柴田は新日本プロレスと契約は結んでいたが、今年は新日本プロレスのリングには上がらずAEWを主戦場にしていた。 柴田はAEWとの契約にあたって、 「トニー・カーンへ 今日、新日本プロレスの許可を得て、AEWと契約を結びました。 この1年間、AEW/ROHで活動し、AEWの素晴らしさを学びました。 ここは、レスラーがリングでの戦いにだけ集中できる最高の環境です。 そして、トニーと彼のために働くすべての人から、プロレスへの愛

新日本プロレスの格闘技路線とは何だったのか…

昨日PRIDEの事を触れたので、アントニオ猪木が新日本プロレスで提唱していた格闘技路線というものは何だったのかを考えてみた。 K-1やPRIDEの時代、プロレスは最強の格闘技だという概念にとらわれていて、内容よりも勝つことを求められていた 特に新日本プロレスの場合はアントニオ猪木が異種格闘技の先駆者であり、「プロレスは最強の格闘技」と訴えてきたことから、必勝というものに囚われていた。 当の猪木はどう考えていたのかというとK-1ルールに挑む中西学に対して「反則にされてもい

業界団体って何?

プロレス業界団体『日本プロレスリング連盟』を設立することが発表された。 『日本プロレスリング連盟』はコミッションと混同するファンもいるだろうが、そもそも業界団体とは、ある特定の産業や業種に携わる企業そのものや経営者の個人を会員として構成される団体であり、「同業者によって組織された団体で当該業界の親睦、地位・技術の向上から発展などに寄与するための活動を行う事業所」というものから。コミッションとは全く違うものである。 設立のきっかけはコロナ渦で、プロレス団体が一致団結して行政