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お金を所有できない世界線って世界平和に繋がるんじゃね?

皆様いかがお過ごしでしょうか。音楽家/イラストレーターのイガなおです。

今日は、椅子や棚といった新居の家具たちが通販でたくさん届くので、一日部屋に引き籠もる予定です。おまかせください。受け取り体制は万全です。
自宅警備員イガなおより、お送りします。


さて、今日は「お金の役割」について書きます。

「価値を貯めて置くため」という声が聞こえてきそうですが、そのもう一歩踏み込んだ、「そもそも人類は何のためにお金を造ったんだっけ?」という話をします。


結論から言うと、お金が与える価値は「価値の高い挑戦をする権利」だと思っています。


まだ世界にお金がない、主食が肉や魚(一日で腐る)の時代を想像してみます。

狩りが得意な人(肉を取る能力が高い人)が「肉は飽きたので魚を食べたい」となったとき、漁業が得意な人がとってきた魚と、自分がとった肉を交換すると思います。

ここで、限られた猛者しかたどり着けない山奥の高級ジビエを狩猟することができる狩人がいたとします。それ自体は素晴らしい能力なのですが、この人は、価値の高いはずの高級ジビエであっても、一日分の肉としか交換できません。

仮に10日分の肉と交換した所で、食べきれずに腐ってしまうからです。

この段階において10日分の肉と交換する方法はないことはなく、「10日間の間、毎日肉を受け取るという約束(前払い)」をすればいいのですが、高級ジビエハンターからすると、「約束を破られる(トばれる、殺される等)」というリスクを負うことになります。
結果、通常の肉1日分との交換とせざるを得なくなり、高級ジビエハンターからすると、「それならわざわざ危険な山奥にいくメリットとリスクの採算が合わないな。。」となるので、きっと高級ジビエハント(価値の高い仕事)をする人はいなくなるでしょう。


お金は、この「価値の高い仕事を適正価格で売れない」という問題を解決してくれます。


「コイン1枚を、通常の肉1日分の価値としよう」と集落で共通認識を取れさえすれば、高級ジビエはコイン10枚と交換することができます。そうすると、高級ジビエハンターは手に入れたコインを使うことで最長10日間食いつなぐことができるので、自分の得意な「高級ジビエハント(価値の高い仕事)」を続けることができます。
結果、集落にとっても美味しいジビエを食べられるので、winwinです。

ちなみに、ここでのお金に必要な特性は「腐らないこと」です。
腐らないからこそ、10日間に渡っての「貯蔵」が可能なのです。

このように、お金のおかげで、「今まで誰もやらなかった価値の高い挑戦」をできるようになり、ここまで人類が進歩したのだと思います。


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一方で、お金が生み出した負の側面もあると、僕は考えています。

それは、「所有」の概念です。

お金が生まれる前、価値の貯蔵が出来なかったときは不可能だった行為が「所有」で、これが「富の偏り」を生み、今の格差社会や「資源の取り合い」から戦争が起きてしまっているのだと思います。

もともとは、新しい価値を生み出し社会をよりよくするために造ったはずの「お金」が、逆に住みにくい社会にしているといった有様です。


じゃあどうすればいいか。
いつだって大事なのは、評論家になることではなくて、問題に向きあってみんなにハッピーになってもらうことです。


お金を所有できなくしてしまえばいい。


例えば、「ある一定以上の資産を持つ人は、いついつまでに資産をこれだけ使わないと資産を没収する」というルールをつくる。
そしてこれは、「もしものときに貯金がない」という状況を招くことを意味するので、「困ったときはみんなで(社会で)助ける」という掟とセットです。

お金を所有できないことのいい所は、「貯めるために稼ぐ」ではなく、「使うために稼ぐ」になることで、社会の思考が自然と「新しい価値の創造」や「他者のためになにができるか」という方向に向くんじゃないかと思います。

書いていて思いましたが、超過資産の「没収」だと、没収先があるわけで、それだとその先に憎しみが集まる気がするので、解決策としては「「○○、アウトー!」からのケツバット用のケツバットの材料にする」あたりが、羞恥心も煽りつつ笑えて面白いなと思いました(ガキ使、好きです)。

ルールを守るためだけの「没収」にしてしまえばいい。


「応援したい人(自分も含む)を応援するためにお金を稼ぐ世界」、よくないですか?

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