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エッセイ本(※自主制作)が出るよ!&KEYTALKの二度目の武道館公演に行ってきました

お久しぶりです、イガラシです。今回はご報告も兼ねて。

5月28日開催のオンライン同人誌即売会『Booknook』にてエッセイ本を頒布させて頂くことになりました!

https://twitter.com/igaigausagi/status/1653712942217707520?t=z2gLUQsIWzxT5rzRPVOVDg&s=19

オンラインなのでどこからでも参加可能です。人生初の同人誌即売会!noteではエッセイや音楽レビューなんかを公開することが多いのでエッセイ本のご報告としましたが、その他にもちょっと面白い感じの本を取り揃えておりますのでチェックして頂けたらと思います。

エッセイ本のタイトルは『この世界を生き抜くための実像崇拝入門』。こちらのnoteで過去公開したMrs. GREEN APPLEについてのエッセイとDannie Mayについてのエッセイ、そして書き下ろしのエッセイが1本収録されます。

というわけで、今回はエッセイ本から試し読みとして、書き下ろしの文章を少しだけ公開したいと思います。内容としては先日3月1日に開催されたKEYTALKの二度目の武道館公演についての、ライブレポートを兼ねたお話になっています。書き下ろしにはそのほかにもcinema staffやUNISON SQUARE GARDEN、クリープハイプなどについてのお話もしていますので、ご興味がありましたら是非!本を買って頂けたら小躍りしてサンバカーニバルを開催します。嘘です。でも嬉しいです。


それでは以下より本編です!
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先日、KEYTALKの二度目の日本武道館公演を観てきた。丸一年前から告知されていた公演で、僕だけでなくたくさんのファンがこの日を待っていたはずだ。友人とふたり、開場時間を少し過ぎた頃に足を運ぶと、既に会場の外には思い思いのライブキッズスタイルで武装したひとびとが夥しい数の列を作っていた。運営スタッフが「今からグッズ購入列に並ばれても、開演前までに買えない可能性がございます!」と叫んでいる。
KEYTALKは今年メジャーデビュー十周年だ。学生時代に結成されたバンドだから、そのときから数えればもっと長い間活動を続けているということになる。感染予防のためにライブハウスが何軒も閉鎖されて、ライブがいくつも延期や中止に追い込まれた三年前から今まで、彼らも間違いなくそのしわ寄せを受けたはずだ。彼らが拠点としている下北沢でもライブハウスがいくつもギリギリの状態へ追い込まれていたようだし、この二年余りの間、彼らの公式サイトでは国立代々木競技場第一体育館でのワンマンライブ、そして幕張メッセでの二日間に及ぶ単独公演が告知され、そのどれもが中止に追い込まれた。そんな日々を抜けた今年三月、波のように押し寄せるひとびとが日本武道館の座席を埋めつくした。いったいどれほどの想いで、彼らはステージからあの無数の光を見つめていたのだろう。
KEYTALKのライブは緩急豊かなセットリストと目がふたつじゃ足りないほど動き回るフィジカルなパフォーマンスが特徴的で、今どき珍しいほどロックバンドらしいライブをするひとたちなのだけれど、大きな会場でのライブのときはある種〝ファン感謝祭〟的な要素が強く、今までも謎コント映像やコスプレなどメンバーが身体を張った面白演出が多かった。七年半前に開催された一度目の武道館公演はまさにそうだったようで――当時は僕はまだメモリアルな大箱ライブに馳せ参じるほど彼らについて詳しくはなかったので、映像作品で得た後追いの情報でしかないのだけれど――、ステージ下からのポップアップでアイドルさながらの登場の仕方をしたり、センターボーカルの巨匠(こと寺中友将氏)がワイヤーで天井から吊り上げられてフライングに挑戦したりと、良い意味で混沌を極めていた。
今回、遂に勝ち取った二度目。いったいどんな登場の仕方をするのかとワクワクしていると、いつもの激しいメロコアパンクな出囃子が流れる中、メンバーは普段のライブハウスでの公演と同じように姿を現した。マイクに向かって一言、巨匠が「新曲やります」とだけ宣言し、その言葉通り、まだライブで披露されたことがなかった最新曲からライブは始まる。
この日のライブは、その後も奇を衒ったような演出は一切なかった。アンコールでバンドのマスコットキャラクターの着ぐるみ(ふわふわもちもちでカラフルで可愛い)が登場したことぐらいだろうか。
ライブも中盤に差し掛かった頃、ベースボーカルの首藤義勝氏が七年半前の武道館公演を振り返り、感慨を口にした。彼曰く、その当時は「やってやったぜ!」という気持ちがあったという。バンドではメインコンポ―ザーを務め、物静かで誰よりも肝っ玉が据わっているように思える彼は、七年半前の武道館の時には「開演前に袖で雄叫びを上げていてあまりの珍しさに驚いた」とボーカルの相方に言われていた彼は、はにかむように微笑んで当時を回想し、「でも今は、みんなのおかげでここに辿り着けたと思っています」と静かに言った。
奇しくもなのだが、彼と共にバンドの歌の双輪を成している巨匠も、近しいことを口にしていた。その日初披露された未発表曲を披露する際、花道の先頭でスポットライトを浴びた彼は、「初めて武道館に立ったときは、自分は特別な人間なんだ、と思いました。でも、この七年半バンドをやってきて、予想もしないような大変なことにも遭遇して、自分は結局普通の人間なんだ、と思った」と口にしたのだった。


僕たちは往々にして、ステージの上に立っているひとたちを自分たちとは違った世界に生きている生き物だと思い込んでしまうことがある。以前、米津玄師氏のあのヒット曲『KICK BACK』の歌詞に関して、「何でも持ってる米津玄師に敗北者の気持ちまでわかられてしまったら立つ瀬がない」といったような感想を向けている書き込みがバズっていて、僕はぶったまげた。何故なら、元々米津玄師というひとはボカロPで、僕たちのような〝敗北者〟側のひとだとてっきり思い込んでいたからだ。

今でこそボカロPとして活躍した後メジャーデビューしたアーティストなんて珍しくなくなったが、当時はボカロなんていわゆるオタク文化そのもので、根暗でひ弱な僕たち陰キャの代弁者だった(はずだ)。ボカロP出身ミュージシャンの先駆けだった彼は、僕にしてみれば弱者の代弁者そのものでしかなかったし、最早レジェンドではあるけれど、確実に茨道をかき分けかき分け泥臭く頑張って、やっと頂点に立っただろうことが想像できる、同世代のスターだったのだ。そんな米津玄師氏が、敗北者の心情を歌詞で描けないはずがないと僕は思っていたが、どうやらその書き込みの主はそうは思わなかったらしい。才能が豊かでスポットライトを浴び、サブスク再生ぐるぐる回しているようなひとたちは、平凡な自分なんかとは違う世界線で生きるキャラクターか何かだとお思いなんだろう。
火炎放射と大量のスモークを背負い、フロアを溢れさせるほどの金テープに包まれた華やかなステージではあったけれど、ポップアップで登場もしない、ワイヤーで吊られて空を飛んだりもしない、取り立てて特別な演出があるわけではないのに、ありったけの演奏と言葉だけで僕たちを沸かせ、踊らせ、笑わせて泣かせたロックバンド。喜怒哀楽の全てを凝縮した、人生の旨みが全部詰め込まれたような時間を一から作り上げたのは、たった四人のバンドマンなのだ。そこには、ある意味では〝ファン向けの内輪向けイベント〟的な雰囲気のあった一度目の武道館公演とは一線を画した、十年以上に及ぶ四人の人間の人生の重みすら感じられて、たまらない気持ちになった。花道の先で背中合わせになって歌うツインボーカル。それを心底嬉しそうな笑顔で眺めながら叩く、陽気なドラマーの八木優樹氏。リーダーでギタリストの小野武正氏はくしゃくしゃの笑顔でフロアを見渡して、「お前ら死ぬまで離さねえからな‼」と叫んでいた。
先に話題に挙げた中田裕二氏はかつてバンドを「青春だった」と言ったが、しかし今でも気の置けない仲間たちと一緒に音楽を続けている。KEYTALKは楽曲『Summer Venus』の歌詞の中で、「青春に賞味期限はございません」と歌った。青春なんていつまで続けたっていいし、青春が終われば、またその先には新しい季節が待っているんだ。
彼らも僕たちと同じ世界で生きている。時に慢心し、時に諦めながらも、仕切り直して、地に足をつけて生きている。先の見えない、明日何が起こるかもわからない世界で、予想もしないような大変なことに見舞われたりしながら、そこで諦めていわゆる会社員だとか、普通の人生と呼ばれる選択をしてもいいはずなのに、それでも「これしかない」と、結果が出るかわからん努力を狂ったように続けて生きている。だから彼らの姿を見ていると、これほどまでに胸がふるえるのかもしれない。狂っているのは彼らも一緒なのだから、いつか彼らのように輝けるのかも、なんて、ついつい泡沫の夢を見てしまうのだ。


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続きはエッセイ『この世界を生き抜くための実像崇拝入門』で!


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