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『少年の君』 その出会いが世界を救う一助に vol.799
教員のみでありながら、ここまでいい映画は知りませんでした。
いじめを題材にした映画『少年の君』。
初めはただのドキュメンタリーかと思いきや、徐々にラブストーリーへと展開され、、、。
今日は『少年の君』を見ての感想を書いていきます。
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進学校に通う高校3年生の少女チェン・ニェンは、大学入試を控え殺伐とした校内で、ひたすら参考書に向かい息を潜めて日々をやり過ごしていた。しかし、同級生がいじめを苦に飛び降り自殺を遂げ、チェン・ニェンが新たないじめの標的になってしまう。彼女の学費のため犯罪まがいの商売をしている母親以外に身寄りはなく、頼る人もいない。そんなある日、下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、その少年シャオベイをとっさに救う。優等生と不良という対極的な存在でありながらも、それぞれ孤独を抱える2人は次第に心を通わせていく。
対局の存在だからこそ惹かれ合う
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普通に過ごしていれば、社会の中でお互い絶対に関わることでなかったであろう2人。
ありきたりな互いが互いの違いを共感して惹かれ合うというよりも、実は違う2人のなかにも共通項あってよりそえたのかもしれません。
互いに孤独の日々で1人で戦い続け、自分の身は自分で守らなければならなかった。
何もなければそのままだったことでしょう。
しかし、チェン・ニェンは同級生の死を前にして、自分に話しかけられたが故に、心に揺らぎができたのでした。
その揺らぎは、反省なのかもしれない、誰もが人の死に対して無関心が故にそこに自分を重ねた哀しみなのかもしれません。
どちらにせよ、同級生の死がなければシャオベイがリンチを受けていたとしても、素通りをしていたのかもしれません。
これは運命付けられた出会いだったのか、単なる偶然なのか。
世界は俺が守る、お前は俺が守る
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シャオベイの言葉です。一貫して出会ってから使われ続けているように思いますが、その意味は後半にいくに連れてどんどんと変化しています。
この言葉にはいろんな意味が込められていると思います。
最初は単なるボディガードとしての言葉でした。
後半に行くに連れてラブストーリにといったものの、単に愛に溺れて口走ったような軽い言葉などではなく、この世界に対する絶望感、そして人間としてのチェン・ニェンを応援したいという気持ち、自分と相手の価値を推し量って正しい選択をしようとしたからこその言葉。
シャオベイにとってはそれほどまでのチェン・ニェンに人として惹かれており、本気で応援したいと思うようになったのでしょう。
そして2人のスタンスはどこまでも変わりません。
太陽の下を2人揃って歩くこともできるのでしょう。
もしかしたら2人の時はそうなのかもしれません。
でも、先生になったチェン・ニェンとシャオベイは最後には、縦に並んで歩きます。
いつまでも、シャオベイはチェン・ニェンを守り続けていたいという形だったのかもしれません。
いじめは無くならないからこそ
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この映画はいじめをテーマとして扱っており、その被害やいじめ自体を少しでも減らそうと世の中に投げかけています。
とは言いつつも、いじめがなければこの2人はここまで惹かれ合うこともなかったと思いますし、それは映画としては難しいところです。
それはおいておき、教員をしている身としてはいじめというのがなくなりにくいものだというのは、とてもよく実感します。
大人ですらいじめをしてしまうことがあるのですから。
でもそこには何があるのか、それはいじめをしてしまう者の自己肯定感の低さからくるものだと思うのです。
誰かをいじめることによって自らの地位をその相手よりも上に置いておくことができ、そこに心理的安全を感じてしまう。
ともすれば、いかに学校という場が安全で、そして空気を互いに尊重し合えるようにするかが非常に鍵になってくるのでしょう。
昔と比べて、この映画のようなありきたりな目に見えるいじめは今の日本では少なくなっています。
とは言いつつも、無くならないいじめとどう向き合っていくのか、序盤の方でいじめの告発を受けて謎にやめさせられた先生にも注目をしないと行けないのかもしれません。
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