生徒の主体性?先生の支援? vol.309
毎週火曜日21:00から行っている対話の先生塾。
今日は最終週の火曜日ということで、ゲストトークです。
「学習者主体の授業デザインとはーピラミッドの作り方を考える実験を通して」というテーマでー澤邉将信さん(公立中学校理科教師)にお話をいただきました。
学びにおける「主体性」とは一体何なのでしょうか?
例えば、一斉授業をなくした際に生徒に必要な力をつけてもらえるのだろうか?
タイムスリップし、ファラオにピラミッドの作り方をプレゼンする
もしあなたがこのお題について考えるとしたらどうしますか?
まず、どの教科の授業なんですか?と不思議に思いますよね笑。
そして、何だかワクワクしませんか?
このワクワク感が、授業には絶対に大事になってくるのです。
しかし、それを邪魔するのが評価と教科性、そして場合によっては職場の風土。
評価についてはルーブリック評価を最初に提示して、相互評価を含めた評価法をすることを伝えておけば、クリアできます。
職場の風土についても、どちらかというとコミュニケーションと熱意の問題。
自分がどれくらいやりたいのかを出せるのかが大事です。
難しいのは教科性。
そこにどれほどの強化力をつけるポイントを落とし込めるのか。
試験方式が変わらなかったり、入試形式が変わらなければ、生徒にとっても消極的参加になってしまうのは間違いがない。
この授業はおそらく多くの生徒の主体性を引き出せたでしょう。
しかし、実際にはどうでしょうか?
そもそも、主体性は必要なのでしょうか?
このような授業は必要でしょうか?
主体性があるとどう変わるか?
ピラミッドを作るために石を運んでいる4人の奴隷に、商人がそれぞれ質問をしました。
「あなたは何をしているのですか?」
奴隷はこう答えました。
A「石を運んでいるんです。」
B「生活のために石を運んでいるんです。」
C「立派なピラミッドを建設するために石を運んでいるんです。」
D「立派なピラミッドを建設して、歴史に残すために石を運んでいるんです」
どの奴隷の未来が輝いていくかはいうまでもないと思います。
いかに自分のしていることに対して自信を持って、自己実現に歩んでいけるのか。
主体性があるのとないのとでは大きく変わります。
探究的な活動をしていると、生徒からよくこのような意見が出る時があります。
「ちゃんとした授業をやって欲しかった」
ちゃんとした授業とは?
こういった意見が出る際に、それを鵜呑みにするのはまだ早いでしょう。
これは、そもそもの生徒の授業に対しる固定概念を紐解いていくことが先決なのです。
大抵こういう生徒に同調し、授業を講義型にしたとしても、結局のところあの先生は分かりづらいと言われておわりです、決して覚えないでしょう。
聞くだけの学びはすでにさまざまな文献で学習効率が低いことが証明されています。
誰に対して思いを伝えていくのか
そしてこのような発表を有する授業で肝になるのが、誰に対して伝えるのかの部分です。
これが与えられた環境でプレゼンをする場合には、対象者でその主体度は大きく変化します。
先生なのか、親なのか、友人同士ななのか、専門家なのか、世界なのか。
後者にいくにつれて、主体性は強くなりますが、そこを明確にすることこそが生徒にとっては大事なのでしょう。
今回の授業、非常に簡単に尚且つ先生は何もしていないように見えるかもしれませんが、実はその動きは大きなものです。
例えば、授業前にルーブリック評価を入れたり、間で相互評価を入れたり、授業の最後には必ずリフレクションをしたりと正直抜け目がありません。
でもだからこそ、このような授業下で育っていく生徒は自走力を身につけ育っていくのでしょう。
改めて、授業における生徒の主体性もさることながら、先生の有様について学ぶきっかけになりました。