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自己有用感を求めて外へと駆り出す恐ろしい人種 vol.569

昨日は関東のGEGのリーダーが集結する関東リーダー会でした。

GEGとは、Google Educator Groupの略で、Googleのツールの使用方法や実践例などを地域に普及していく有志の団体になります。

私は横須賀で2021年の2月からリーダーをやらしてもらっています。

これをやることで、コミュニティのあり方について考えたり、地域性が見えてきたりとさまざまな視点を持つことができています。

それはさておき、、、。

本日は六本木のGoogle社で3月に行うイベントのアイデア出しのようなことをしたのですが、その時の対話セッションで久しぶりの感覚を受けたので、そこについて考えたいと思います。

対話のあり方

まぁ、ファシリをやるのはなんてこともないですし、これまで全くもって会話にならないような会なども経験はしてきたので、どんな人、環境でも問題はないのですが、、、。

今日はそういった意味で言うと、はずれくじを引きました。

対話の冒頭からずっと高圧的。

「俺はこう思っているんだけどね!」スタンス全開。

話の脈絡は関係なく自分のことだけを話したがり。

あるあるですね〜笑。

なんでもその話し振りを見た感じだと、今回の会の設定が自分は知らなかったことに少し腹を立てているようで。

なんとも的外れな怒り、、、。

今回のは有志で始めているだけなので、別にここから協力してくれればとか、協力とか以前にこれから一緒ですね〜って感じになるはずなのに。

読んでもらえていないのが不服なのか。

そういった姿を見ると、やはりこういう外に出て何かをするってなったときにも自己肯定感を求めてやってくる人がいるんだなと言う、ちょっとした恐怖を感じました。

でしゃばりとファシリの立ち位置

で、久しぶりに対面でのファシリをやりましたが、自分でも感心してしまうのが、全くもってそこに対してのプレッシャーとかも感じておらず、完全に染み付いたんだなというのは感じました。

ファシリが何か特別なことをやると言う体の認識がなくなり、普段のコミュニケーションの一部になっているという実感です。

でも、ここであえて鳥の目で全体視をしてみたときにちょっと悩む部分もあります。

要はどこまで干渉していくか。

裏ファシリもいない、なかなか初めましてで会話も弾まないとなると、どうしてもファシリ役がある程度は回さなければ、促進されません。

この匙加減、あまりにも干渉しすぎても一歩引かせてしまうし、何もしすぎないと今度は何にもない時間が流れるし。

どう見られているかを気にする必要はないのですが、やはりこのバランスはちょっと意識するきっかけになりました。

やっぱり目的を失わず

究極言えば、ファシリの目的、対話の目的さえしっかりしていれば、出しゃばっていようと出しゃばっていなかろうと問題はないのでしょう。

なぜファシリテーションをするのか、なぜこの対話をするのか。

今回であれば対話の目的は2つ。

親睦を深めることと、イベントのアトラクションの中身をぼんやりと考えるというもの。

だから、正直そこまでキッパリとしていなくても対話は問題がありませんでした。

なのでどちらかと言うと私自身のファシリをどこまでやるかというところだけ。

それを踏まえても、問題なくできたかな〜と楽しかったな〜と振かえれます。

3月のイベントに向けて色々と動き出していきます。

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