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思いだすあの日々

今日から教育実習生がやってきます。

思い返せば、自分が教育実習をさせてもらったのは、5年前。もうずいぶん前のような気がします。

教育実習では自分の教育に対する想いや態度、そして学校現場の大変さをより理解できました。教育実習の時とも自分の教育観は大きく変化し、自分でも別人のように感じています。

担任という仕事に対する想い

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担任という職は生徒と一緒に歩み、学んでいくものです。

教育実習の時はそれこそ、緊張の連続で何をしてでも生徒になめられないように、そして大人であるようにと気を張って頑張っていました。

確かにその経験はとても大切で、その時があったからこそ今の自分上がります。

しかし、今考えてみるとそこまで頑張りすぎる必要もなかったのかなとも思っています。

教員という職はどうしても聖職と言われていることからも、ミスが許されない”しっかり”していないといけない、”ちゃんと”していないといけないと思われがちです。

でも、その”しっかり”とか”ちゃんと”は何を基準にしてのものなのでしょうか?

それは人と比べて初めて見えてくる、杓子定規な考え方です。

「柔軟に対応しなさい」「未来を見据えて行動しなさい」と言っている先生がこんな思考回路をしていたら、生徒に本心で話せるでしょうか?

だから、実習生やこれから先生になる人、そして先生になりたての人は特に自分に問いかけてこう語りかけて欲しいです。

その場で、生徒の前に立てている時点でもう、自分はちゃんとしている。先生になるんじゃ無い。今の自分に先生という役割が与えられただけ。だから、自分の思うがままに出せるものを全部出せばいい。”しっかり”や”ちゃんと”なんてない。今の自分が最高です。

授業に対する想い

ふり返り学習

思えば教育実習時代から、授業作りはずっと好きでした。

うまく伝えられた時や、生徒の「え!?」という新境地に遭遇した顔を見るのがとても幸せで楽しかったのです。

そして、その思いは今も全くもって変わっていません。

しかし、そのアプローチ方法は実習生時代の100倍以上に増えました。

それは勉強熱心だからということでもなく、好きなことを追求し続け、外との繋がりを大切にして学びに貪欲になっていたからです。

その結果、自分の授業スタイルも変化し続ける中にも、根底にあるものが見え始め、以前は答えのない問いを手探りで探しながら迷走していたのが、今では手札から最適解を出すように、最速で最もいい手法を扱えるようになってきました。

授業は教職の中でもほとんどメーンの仕事です。

しかし多くの先生は、元々ある自分の授業スタイルの無駄を省くことに注力し、とにかくその技を磨き続けます。

確かにそれでも経験によるスキルは上がっていきますが、先ほどにもあった通り時代に則した指導ができるとは限りません。

どんな職人もいつまでも素人はいません。

自身でテクニックを学び、スキルを身につけ、玄人になっていくのです。

実際に教員になってみて

青空と学校校舎

教育実習と教職に就いた後で一番強く感じたのは、業務量の差です。

当然、教育実習生も忙しいです。

初めての現場、毎日のように更新しなければいけない授業準備、授業見学など。

しかし、教職はその7倍以上は大変です。

校務分掌に、部活動、生徒対応、補講。ありとあらゆる雑務が降りかかってきます。

でも今は、私は教育こそが自分の一番やりたいことで、一番楽しいと感じています。

だから、この職業に就き続けているのです。

教職の魅力はここでは語りませんが、それを実習生のあのお試し期間だけで判断しなければいけないのは、若干詐欺のようにも感じます。

教育者が増えるの嬉しいことではありますが、教職を選んだがために数年間をうつ病などで棒に振り、他の職につくという方も増えています。

問題の根底にあるのは、この国の教員の働きかたにありますが、現状、まだそれはなかなか解決されそうにもありません。

厳しい意見ではありますが、教育実習といういわば魔法のかかった数週間で判断せずに、自分の信念の中に本当に教育に関わっていきたいという思いがあるのかを、再確認する必要があるのでは無いでしょうか?

その先に教育者が見えるのであれば、チャレンジしてみてもいいのかもしれません。

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