セレンディピティの宝庫 vol.564
先日、横須賀美術館に校外学習で行ってきました。
スカジャン展。
スカジャンの歴史と、その時代背景、そして現代のスカジャン。
横須賀に住まう身としては絶対に知っておきたいと思っていたので、とてもいい経験になりました。
学生の頃に一度行った美術館で実は衝撃を受けていたのですが、今日はそんな美術館について書いていきます。
思いもよらない気づきに
もともと美術館など、暇つぶしにもならない。
お金持ちの道楽の一つくらいに舐めていた私ですが、大学生の頃に一度美術館に行く機会がありました。
教員採用試験の延長で出張しようということで、大学の友人と一緒に見に行ったのです。
最初は全くもって行く気がなかったのですが、まぁ気休めになるかと思いいきました。
ところがどっこい、いざ行ってみると思いをよらない気づきの山でした。
参考書の白黒の写真では表現しきれない、さまざまな顔、その背景、相関、いろんな視点で印象深く記憶に残ることとなったのです。
ただ、教員採用試験の気休めに友達と遊ぶか〜っていどだったのが、気づけばそのまま勉強につながっていました。
まさしくセレンディピティです。
興味関心がきっかけに
今回、スカジャン展が企画されていることを知り、なんとか合法的にいきたいと思い、学内でセミナーを立ち上げました。
そもそもなぜ行きたかったのかというと、ファッションの中で唯一気になっていたのに手が出せなかったジャンルのスカジャンを知りたかったというのが大きいでしょう。
ただ好きな服について知りたいという興味関心から、色々とやってみたら意外にももっと壮大な世界の敗戦国としての歴史、国民性、現代アートにまでつながっていったという不思議な体験でした。
でももしかしたら、知識というのはそんなふうについていくものなのかもしれません。
初めは少しの関心、でも気づけば大きな知的欲求へと変化している。
そしてそれの組み合わせ、継続、習得を学びというのでしょう。
美術館は難しいけど、学びは広がるし深まる
美術館は抽象化の権化です。
そこには何かを表現したい、訴えたいという作品がわんさかと溢れかえっているのです。
しかし、その表現は誰も共通で分かるような5感をフル活用した具体的ではなく、限りなく受取の情報に乏しい抽象的なもの。
だからこそ、受取手の背景によってさまざまな感じ方をできる。
今回のスカジャンであれば、同じスカジャンを見て、かっこいいという人もいれば、かわいいという人もいる、美しいという人もいれば、煩雑と感じる人もいる。
美術作品というものはそんな5感を刺激すると同時に、そこからの対話や他者理解の入り口になっているのでしょう。
これは新しく趣味の一つとして入れてもいいのかなと改めて感じた時間でした。.
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