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NEXT GIGAで次のフェーズに vol.892

2024年はある意味で節目のとしなのかもしれません。

2019年より動いてきたGIGAスクール構想は初期で計画していた5カ年計画が終了し、しれっと第2期目に突入しようとしています。

良くも悪くもパンデミックの影響で、ICT教育に目を向けざるを得なくなった日本教育。

今でこそ従来の形に戻りつつありますが、あの時の経験とそのICTの片鱗は落ちたままの教育現場です。

そして、その片鱗はそこからまたさらに成長し、新たなICTの波を作り出しています。

今日はそんなNEXTGIGAについて考えてみます。


”すごい”、”最新的!”が当たり前の世界に

変化の中で一緒に教員になってきたので、そこまで意識はしてこなかったのですが、考えてみたら自分が大学生の頃今の教育を目の当たりにしたら非常に驚くことでしょう。

当時は、パワーポイントを使っているだけでICTがよくできている呼ばわりをされていたのに、今では1人一台の端末は当たり前、学校にはフリーWi-Fi、アンケートやコメントペーパーは全てウェブ上。

こんなこと正直あまり想像もできていませんでした。

もっと前に戻って自分が中高生の頃を考えてみると、教室にあるのは黒板だけで何かを投影してみるなんてもってのほか、特別教室でだけできることでした。

今ではそう言ったものも当たり前になってきています。

NEXTGIGAはこの当たり前の概念を一人一人が持ち、その中でどのような教育を施していくかを思考していく必要があるのです。

教員は必要ない

こういう話をすると必ずと言っていいほど出てくる、教員いるのか問題。

大体の場合教員は必要だというところで帰着するのですが、皆さんはその理由を自分の意思で話せますでしょうか。

もっというと、これを主張しているほとんどが教育関係者だから面白いものです。

そりゃ自分の立場を考えたら必要というでしょうと思います。

私の意見は、「自走できるのであれば教員は必要なしいるのは仲間、自走できないのであれば補助輪として必要」です。

正直、ここまで発展してきた現代において何かを教えるという作業は要らなくなってきているように感じます。

自分で走ることが分かっているのならもう教員としてできることはほとんどありません。

転びそうになった時にそっと手を差し伸べてあげる程度です。

余計なお世話をせずに

例えば新品のゲームを買って一刻も早くプレーしたいのに、このゲームの魅力はこうだとか、説明書を読んでここをこうするとどうなるとかそんな御託は聞きたくないのではないでしょうか?

そんなのどうでもいいから、うまくいかなくてもいいから、自分の手でプレーをして間違ってでもいいから進めたい、そう思いませんか?

ゲームに限らず新しいスニーカーを買った時も、メンテナンスはこうでああで、正しい履き方はこうでとかは正直うるせぇって感じです笑。

子ども達にとってはありがた迷惑です。

私たちはついつい手を差し伸べたくなるのですが、意外とほっといてあげる方がうまくいくことも多いはずです。

この感覚を前提に持つことこそが、NEXTGIGAにとってまず大事な要素ではないでしょうか?

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