組織的=悪いことだけではないのかも vol.397
ふと、立ち返ってそんなことを思えるようになりました。
何もかも機械的になって、それらを意味もなくこなすだけの集団としても捉えていましたが、改めて考えてみるとすごいことなのかもしれません。
それだけの人数がいる中であれば、いくらか組織化構造化しなければ集団は動いていけません。
それぞれが好きなことを好きなようにやっていれば、一気に集団は沈静化されていきます。
だからこそ、ある程度の制約やルールはむしろ大事なのでしょう。
というよりも、それを前提として考えた時に、それらを考えて作り上げてきた人、これってものすごいことですし、ものすごいエネルギーなのかもしれません。
ベースアップを望むのであれば、、、
全体のレベルアップや全体での共通認識を生ませるのであれば、より効率的に構造的にしていった方がトップダウンはできるでしょう。
新しいルールや方向性、こう言ったものは上から下へと流していった方が浸透します。
しかし、これは逆にボトムアップの芽を摘んでいることになるのかもしれません。
完璧に敷き詰められたコンクリートの間からは芽が出ないのと同じように、完全に組織化してしまったものには新しい風は吹きにくいのです。
この絶妙なバランスをとっていくのが難しいのでしょう。
走り出せば自走する、でも、、、
こう言った構造化された組織は、仕組みさえ整えば自走していきます。
さまざまな内容がそれぞれで把握していなくても、うまく回っていくのです。
これはこれで、循環がいいものであれば、いいことではあるのですが、一つ大きなトラップがあります。
それは、形骸化です。
その流れに乗るだけで意味を考えずにただひたすら実行していく。
こうなってしまうと最悪です。
そして、これが今の学校に起きている現象そのものです。
行事も試験も授業も会議も、何のために、なぜやるのか、これが全て抜けた状態で動いてしまっているのです。
進歩なき発展は衰退です。
日々変化する世の中の中で、何も変わらず固定し切ったシステムは新しい時代を生きていく子どもたちからすると旧式の学びとイコールになっていってしまいます。
変えるのではなく作り上げる
今ある既存のものをどうにかしようとするから、頭を抱えどうしようもないと錯覚してしまうのです。
今あるものを変えられない、そこに割くエネルギーがあまりにも大きいと感じたのであれば、改革ではなく創造にシフトチェンジすれば良いのです。
何も難しいことではありません。
むしろそちらの方がゼロベースから作り上げるからこその楽しさと、難しさ、そして学びがあるはずです。
まぁ、つまりはこういう気づきに行き着いた人が外へと出てフリースクールなどを建て始めているのかもしれませんが、、、。
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