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『ソーシャルネットワーク』結局はただのお友達喧嘩だったのか vol.700
実に壮大なストーリーがそこにはあるのかもしれない。
そう思っていつかみてみたいなと思っていた映画があります。
『ソーシャルネットワーク』。
facebookが出来上がるまでの背景を、実際に作ったマークザッカーバーグの学生時代と共にふり返ります。
ところどころフィクションになっているために、どう考えるかは難しいのですが、映画を見ての感想を書いていきます。
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2003年、ハーバード大学に通う19歳のマークは、親友のエドゥアルドとともに学内の友人を増やすためのネットワーキング・サービスを開発する。そのサービスは瞬く間に他校でも評判となり、ファイル共有サイト「ナップスター」創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへと急成長を遂げるが……。
マークはどこまでもマークらしく
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この物語の主人公マークザッカーバーグ、見ていても違和感が多いという人が多いのかもしれません。
彼は発達に問題があるのかどうか分かりませんが、基本的に相手の気持ちを読んだり、空気を読むというのが苦手なように描かれています。
そして、自分のやりたいことのためになり振る構わずやり続ける。
facebookの開設も、元々の着想案は他の人の思い描くものだったかもしれない、友人と話し合う時間が必要だったかもしれない。
それでもそれらの時間を全て自分自身が作りたいfacebookの作成に情熱を捧げていました。
それが最終的に幸せなのかどうかは分かりませんが、彼にとってはそれしか知らなかったのかもしれません。
彼は理解者を追い求めたのか?
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では、彼にとって理解者は必要だったのでしょうか。
冒頭に出てきた彼女。
彼女のことを最後まで追いかけてはいないものの、彼女に見てほしいという気持ちは見え隠れします。
そう考えると彼女はもしかしたら彼の1番の理解者だったのかもしれません。
その自分自身を理解してくれる彼女のことを忘れずに、どこかで振り向いて欲しくて努力をしていたのでしょう。
しかし彼の理解者は彼女だけではありません。
共に頑張ってきたエドゥアルド、彼に進言をしてくれたショーン、彼らもまたマークザッカーバーグの理解者であったはずです。
では、彼にとって本当の理解をしてもらえるとはどんな状態だったのでしょうか。
どこまでも進んでいく
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そんな彼に残された選択肢は自分の信じる道をただひたすらに突き進み続けるということだけだったのではないでしょうか。
そして、それを続けていればいずれ理解をしてくれる人が現れる。
それこそが彼がすべきことだったのでしょう。
この彼が実際に今のマークザッカーバーグとは同一人物ではありませんが、映画としては、ここにつながるようにできているはずです。
つまり、彼がのちにInstagramやメタバースといった新たな技術革新を生み出していっているわけです。
自分の理想をただひたすらに追究し続ける。
これこそが彼の生き様であり生涯そのものなのでしょう。
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