やらせてみればいいのに、、、(81日目)
今日は組合の懇親会と言うことで、いろんなことを話しています。
中でも、教員の負担と生徒の意欲関心の話が印象に残りました。
新しいことをやりたい生徒と、旧態依然を望む教員。
教員として何が楽しくて、仕事をしているのか疑問に思います。
教育のタイミング
学校現場には教育のタイミングがたくさんあります。
生徒が新しい挑戦や、未知のことに取り組む時には成長する生徒の姿見られるものです。
教員として一番教職のやりがいを感じることができる瞬間でもあります。
しかし、そこには失敗もつきものです。
教員としては、何年間も繰り返し行ってきたものではありますが、生徒にとっては全てが初体験だからです。
そして、それを全面的にサポートできるのか、その役割を奪ってしまうのかは教員次第です。
失敗こそ生徒にとってはかけがえのない成長につながります。
挑戦は大変、これまで通りを追求
しかし、学校という組織は変わらないことを維持し続けてきました。
過去に良かったものがこの先もずっといいものとして考えがちなのです。
まさに旧態依然。時代や社会が変化しても、全員が等しく同じ教育を受けてきた学校現場では、経験則こそが絶対の正義になってしまうのです。
だから、生徒に何かをやらせると言うことを避けてしまう教員がほとんどです。
「これまでそうやってきたから。」とか、「先生たちで十分に話し合った結果だから。」といった具合にです。
でも、学校は誰のためにあるものなのでしょうか。
学校はこれからの社会をになっていく若者の育成、そして、社会に出るまでの練習の場です。
その練習の場が、抑制で取りまとめてしまうような組織であれば、当然、その場で育った子供たちも、社会に出た時に挑戦しようと言う気持ちなどさらさら起きません。
安心安全空間の形成
学校は生徒にとって、安心安全空間でなければいけません。
そして、たくさんの挑戦をして、たくさんの失敗をして、それを繰り返して成長していく場である必要があります。
そのために学校、そして先生ができることは、生徒が思う存分チャレンジができるような環境作りです。
当然、先生も忙しいのはわかります。
生徒に挑戦の自由を与えれば、その分、把握も抑制も難しくなります。
でも、その中で生徒の成長を見守っていくことこそが、教員のやりがいでもあり、楽しいところなのではないでしょうか。
学校は小さな社会。
だからこそ、その社会の中で模範、そして少しでも参考になるような、かっこいいと思われるような大人でありたいものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?