神は本当に死んだのか

太古の時代へタイムスリップしてみよう。
周りには人間より大きい猛獣たちばかり。
雷が鳴り響く嵐の中、家や服さえない。

太古の人々は
「お願いだから雷よ嵐よ止んでくれ」
と強く願い、雷や嵐は徐々に静まっていく。
現代の人にとってみれば因果関係がないのは明白であるが
強く願うことで願いが叶うことを人間が知った瞬間である。
この勘違いなくして人間は成長できなかったはずであり
この大いなる勘違いこそ人間の本質だ。

ある人が言った。
「どうやったらあの猛獣をしとめれるか」
「どうやったら雷や嵐を止めれるか」

それに対して小利口な人は
「猛獣には絶対に勝てるわけがない」
「雷や嵐はどうしようもできるわけがない」
という。

猛獣に勝てるわけがないとバカにされ
猛獣をしとめることを諦めなかった人間が最後にはボスになり
神に願い雷や嵐を治めた祈祷師などが
ボスとなり小利口な人間を支配していったであろう。

次は回転寿司がない時代にタイムスリップしてみる。
ある人がいった。
「寿司が回ったら面白いよね。」

それに対して小利口な人は
「食べ物で遊ぶなよ」
「衛生的でない。食中毒がおきたら誰が責任とるんだ」
などと言う。

歴史をみれば、神を信じ成功するまで続けた人間が
不可能と思えることを可能にする奇跡を起こし続けた。
現代においても、神を信じ続けた者が小利口な人を支配している。

神がいない世界は、小利口な人にとってのユートピアであるが
実はディストピアであることに小利口な人は気づいていない。いや、それでいいし、それこそが人間らしさなのかもしれないが。

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