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メビウスの輪(仮)

外を見ていた。
雨が降ってきたので私は窓を閉める。刹那にスライドする窓の隙間から冷たい冷気が部屋に入り込んできた。
コーヒーを飲んだ。

強くなっていく雨が、心地の良い音楽を奏でている。
ああ、全く何も思い浮かばない。締め切りは明日に迫っている。

始まりは三ヶ月前のことである。私が駅から家への帰り道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「そこのお方」
私が振り向くと、そこにはシルクハットに燕尾服の男が立っていた。
「なんでしょう?」
私は危ない匂いを感じ取りながらも、思わずそのように返してしまった。
すると男はポケットの中から何やら二つ折りの紙を取り出し、私の目の前に差し出したのである。
もちろん、私はその紙を受け取る気など毛頭なかった。しかし、気がつくと不思議なことにその紙は私の手に受け取られていたのである。
私が恐る恐る紙を開くと、そこには以下のように記述してあった。
"テーマ: メビウスの輪"
「なんですか?これは」
私は目の前の男に疑問を投げかけた。
すると男は以下のように言ったのである。
「それで、小説を」
「えっ!?」
そうして、私が合点がいかぬことを他所に、男は気味の悪い笑みを浮かべ
「それでは、三ヶ月後のこの時間に伺います」
と言って、目の前から忽然と姿を消してしまったのである。

あれから三ヶ月、あっという間であった。男が現れるのは5時間後に迫っている。

ああ、書けない…
いや…そもそも、なぜ私は律儀にも小説を書こうとしているのだろうか。
いきなり現れた男に、小説を書いてねと言われ、小説を書いた男がいまだかつて、世界にいただろうか。
わざわざ、休日を返上してまで、内容を考える義理がどこにあるというのか。
まず、なぜ私なのだ。
そして、メビウスの輪。なんでそのテーマなのだ。

私はかれこれ数時間以上のような考えを持って机の前から離れてはまた机の前に戻るを繰り返している。

やらないという選択肢をとることは問題ではないはずである。実際、私は承諾をしていない。押しつけられただけなのである。三ヶ月で小説を書くという義理はない。
しかし、あの男、どう考えても普通の人間の類ではない。目の前から一瞬で姿を消すということも、あのシルクハットと燕尾服の姿を見ても、確実に物の怪の類であろう。
そう考えると、このまま小説を書かなければ、自分の身に何かしらの罰が降る可能性は否定できない。
しかし、突然現れて小説書いてくれと言って消える妖怪やら都市伝説は聞いたことがない。そうなってくると、やはりあれは自分の勘違いの類の可能性はある。もしかすると夢だったのかもしれない。考えてみれば、色々とおかしい。そもそも、後ろから声をかけられた見知らぬ燕尾服から紙を受け取るなど夢でなければ…
しかし、その理論でいくならば、おかしいことがあった。私は紙を持っているのだ。まさしく、あの燕尾服からもらった紙。それを、持っている。

私は書斎の机の引き出しから、その紙を取り出した。そこにははっきりと
"テーマ: メビウスの輪"
と記述されていた。

これが何よりの証拠ではないか。やはり、あの出来事は起こったのだ。

そんなこんなで、あれやこれやと考えているうちに、気がつくと締め切りまで、あと、4時間と迫ってしまった。

とりあえず、何かしら書いておくのが良いのかもしれない。確かに、色々、科学的に整合の取れない部分が多い。しかし、もしこれが世に言う物の怪の怪異出会った場合、もしかすると私の身に何か起こるやもしれんのである。

私はとりあえず、メビウスの輪(仮)とタイトルを記述した。
何を書けば良いのだろう。
もう、数時間は考えている、それなのに出てこないのであるから、これから先、4時間でどうにもならないのではないか…

とりあえず、日常の何かを題材にするか、名案が浮かんだのはそう考えたときであった。
日常ならば、まさにこの話を小説にしてしまえばよいのではなかろうか…

書き出しはどうしようか、私はなんとなく窓の外を見ていたことから、以下のように記述した。

'''外を見ていた。'''

すると、驚くことに次から次へと言葉が溢れ出てくる。悩み続けていた数時間が嘘であったように、私は続きの文を書き連ねて行った。

'''雨が降ってきたので私は窓を閉める。刹那にスライドする窓の隙間から冷たい冷気が部屋に入り込んできた。
コーヒーを飲んだ'''

'''強くなっていく雨が、心地の良い音楽を奏でている。
ああ、全く何も思い浮かばない。締め切りは明日に迫っている。'''

しかし、この文はどこに着地するのか、それが私にはさっぱり見えなかった。残った制限時間まで、いたずらに文を連ねることで何が起こるというのか。
自分の書いている内容も、メビウスの輪には程遠いものであるように思える。
まさにこの状況がゴールのないメビウスの輪のようなのである。ああ、私は、どこに進んでいくのか…ゴールが、ゴールが見えない…
しかし、私は書き続ける。

'''始まりは一週間前のことである。私が駅から家への帰り道を歩いていると、後ろから声をかけられた……

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