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インビジブルマン

彼には何もなかったのだ、故に彼を認知するものはなかった。
名前はあった、しかし、誰もが忘れてしまった。
彼には趣味がなかった。そのため、趣味を共有する友はなかった。彼には今までは職があった。営業の職である。しかし、大した営業成績を残せず、その職も不況の波の中で消えていった。
彼には今や何もない。名も、名乗らねば意味をなさない。
職がなくなってから数ヶ月後に追い出されたアパートの名はなつみ荘といったが、それは今の彼には関係のないことである。
全ての人間の存在の本質が、物質ではなく、情報であることを、彼は知った。
彼は橋の下で生活している。
カエルが鳴いている。彼はそのカエルの存在が明らかであると断言できない。
彼は名のあるものを食べ、名のない命を延命させる。
もはや意味のない命である。
生きているという情報さえ、今の彼には意味をなさない。

彼という情報が、この世からなくなってからはや、数ヶ月がすぎた。彼は情報を理解できなくなった。
雨という存在が、様々な情報と共に世の中に降り注ぐ。冷たさ、匂い、暗さ、しめっぽさ、気持ち悪さ、煩わしさ。
しかし、彼はその情報を認知できない。そこにあるのは情報なき雨である。
雨ですらない、雨である。
彼はその中をただ、一人歩いている。
彼を見るものはいるが、彼を見たという情報は数秒間で、変化し、最終的には情報の海の中で溶けてなくなるのである。


しかし、転機というものは雨風のように気まぐれにやってくる。

誰かが、彼を見たことがあると、インターネットで呟く。
それに対し、呼応する人々が現れる。
発言、コメント、発言、コメント、そして、写真
薄汚い、彼の写真が、情報の海のなかで、日の目を見る。
彼は、そこで情報存在として、一程度の価値をえた。
彼の画像は様々なコメディ画像に様変わりし、インターネット上で行き交う情報となった。

しかし、誰も彼の居場所や存在を知らない。
誰が載せたかもわからぬ画像をただ面白がり、そこに情報的存在を投影しているのである。

しかし、間違いなく、彼は存在を得たのだ。彼は主観として存在しないが、客観として情報存在になったのである。

しかし、肉体と情報は分離している。
やがて、彼の肉体は朽ち果て、腐敗し、消えてなくなった。
だが、彼は情報存在として、情報の中で揺蕩っている。

誰かが嬌声を立てながら、セックスをする。
肉体存在としての悦びである。

情報存在の彼は情報の中でそれに交わる。
不思議な感覚、肉体的でない、完全的に精神的な悦楽が、彼を包むのである。

彼は今日も誰かに認知される。
その度に彼は温かみを感じるのだ。
肉体存在であった際には感じたことのない温もりである。

彼はそこに「いる」確かに「いる」のである。


そのようにして、彼は現在も300年間存在し続けている。
300年間、彼は辛いと感じたことはない。

また、誰かが職をなくしたらしい。

彼には趣味がない…


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