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老い先短いと考えるのも悪いもんじゃねぇ🤗 老い先はいつも短く、人生は長い

「老い先短い」・「長い人生」
この2つの「生」は人生を違う観点から考えている。

「老い先短いから」という言葉の先には
「もうこれをやってもなぁ」とネガティブな考えや
「今のうちにこれをやっとかなくては」とポジティブな考えが続く。

どちらも「考え・意識」、気持ちに基づくものだ。

これに対し「長い人生」に関する言葉は
「人生100年時代、老後に備えよう」とか
「老後長い人生を健康に生きよう」とか
「体・物質・生活」、物理的なものに関するものが多い。

これを逆にとらえると、あらら、困った内容になる。

「老い先短いから、先のことなど思い煩わず、お金は今を楽しむために使い、健康に留意した食事よりも好きなものを好きなだけ食べたい」

いやいや、長かろうと短かろうと、お金と体は大事にしましょう。

「人生はまだ先があるから、買いたいものは後回し、家のリフォームも後回し、いきたいと思っている旅行はあとからでもいい」

いやいや、何が起こるかわからないから、やりたいことは後回しにする必要はなないでしょう。

仕事柄(FPなんで)「人生100年時代のキャッシュフロー表」を作りますが、これに表れるのは物理的なお金の出入りだけです。
気持ちを抑えるものじゃない。
むしろ気持ちをあと押しするお金の裏付けをするものです。

私が60を間近に控えていて、今まで生きてきた年数よりもこれから生きる年数が短いから言っているわけではありません。
(今までと同じ年数生きたら私は最高齢女性になる?)
問いかけながら生きている。
先があると思って先延ばしにしていていいことある?

いつまでもあると思うな親と金 ないと思うな運と災難

江戸時代の狂歌 より

今では節約、親孝行の代名詞、のように言われる「いつまでもあると思うな親と金」ですが、続きの「ないとおもうな運と災難」まで読むと幸運・悪運・災難はいつ降りかかるかわからないから、
親と金があるうちにやりたいことをやっておきましょう、
親と金があるうちに自立しましょう、
親と金があるうちに災難に備えましょう、
今不運に見舞われているからといって親と金がいつかなくなるようにいつかは幸運がやってくるからくよくよするのはやめましょう、
と幾とおりにもとれます。

言葉って受け止め方で変わるのですよね。
言葉 → 思考 → 行動 の間には[判断]があります。
私は「老い先短いと思って、やれることやりたいことは前倒し、やりたくないことは人生長いから後回し」に、とやっていこうとしています。
おかげで、壁塗りは前倒しして今年の夏は快適だし、自分の還暦祝いに欲しかったものはちゃっかり先に買ってニンマリしています。

老い先短いと考えながら動くのも悪いもんじゃねえ。
もちろん、クレジットカードの限度額は考えながら(笑)

共感してくださると嬉しいです。宝くじで5億円当たったらカナダに別宅ができますので、ぜひおいでください。犬をお飼いの方は犬オーナー用のマンションも運営する予定なのでご検討ください。