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私、"IF:イフ"という人間について

はじめまして。
IF:イフと言います。

今現在では、noteでブログ、YouTubeで動画を投稿しています。
内容は『もしも』な話になります。
もしもな話から"キッカケ"を得て欲しい思いで語っています。

ブログは真面目系な記事
YouTubeではぶっ飛んだ動画
それを目指しています。

さて、改めまして、私自身という人間についてです。


人生に迷った

私は半年ほど前に(2019年8月)仕事を辞めました。
そして、そこからほぼニートな生活を送っていました。

やめた理由は色々ありますが、
 ・人間関係の形
 ・社会の形
 ・自分という人間性
 ・これからの『未来』について

この4つから辞めさせていただきました。

仕事内容は臨床検査を行う仕事です。
今でニュースになっている『コロナウイルス』それらの検査を行う仕事でした。
インフルエンザなどの病気を確認する仕事を行なっていました。
患者の検体(血や尿)から感染しているのかを確認するお仕事です。

素晴らしい仕事です。
なによりも"人の命を助けるキッカケ"を作る業務だからです。

でも、それでも、私のいた職場はあまり良ものではありませんでした。
簡潔に言って"ブラック企業"みたいなものです。

私が思うブラック企業の最大の特徴として
働いている人もブラック企業に染まっていること

会社もそこで働いている人も"ブラック"だったのです。

そして、それによってどうなったのか?
変化はありませんでした。
というよりも、"変化がない"ことが問題でした。

成長』や『進化』という変化がないことです。
もちろん仕事を覚えることでの成長はありました
でも、"それだけ"でした。
それ以上の『成長』もなければ、『進化』につながることなんてありません。
他の何かに関わることもありませんでした。

私はそのことに疑問を持っていました。

『成長』も『進化』もない人生が良いことなのか?


人間関係という地獄

私のいた職場では"陰口"は当たり前の光景でした。
「あの人は仕事ができない」「なんであんなことをするの?」
そんな言葉を聞くのが日常でした。

でも、私は『それは違う』と思った。
自分も周りに合わせて陰口をいって時もありました。
でも、気づいたのです。
陰口って無駄じゃね?』と。

陰口を言っても、陰口の対象が変わることなんてありません
仕事のやり方を改めることなんてありません。
人が変わったように、仕事の出来る人になることなんてありません。

陰口をストレス発散目的に語る
語る理由はわかっていましたが、なによりも"陰口の対象の本人"が変われば、なによりも『問題』がなくなるのです。
陰口を言っても、問題はなくならない。
いつまでも"陰口のある場"なのです。

私は行動しました。


変えた方がいいですよ
人生経験が少ないこともあり、しっかりとした言語化できた自信はありませんでした。
でも、自分の考えを含めて全部語りました

でも、変わることは全くありませんでした。
それよりも、『お前は生意気だ』と言われました。

『自分の好きなようにさせろ』
『俺には俺のやり方がある』
『いや、そんなことは知らん』
様々ありました。

私がやっていた仕事は"個人でやる仕事"ではなかったのです。
グループとして、複数人でやっていく仕事だったのです。
陰口の問題も『仕事をしない』『個人プレーが過ぎる』ことばかりです。
だからこそ、問題解決が一番"仕事として"の解決になると思っていました

でも、そこで気づいたのです。

誰もが"仕事として"行動していないのかな?と。

仕事の内容的に馬鹿でも『個人プレー』や『仕事をしない』ことがどれだけ影響を与えるのかわかっていました。
なによりも、"人の命に関わる仕事"です。

ストレスに溢れる仕事場でした。
"人の命に関わる仕事"だからこそ、責任も重いものです。
責任によるストレスも多いのです

少しでも『ストレス』の問題を取り除くことが、"人の命に関わる仕事"として集中してできると理解していました

でも、現実はそういかなかった。

陰口をいう人も問題の解決には進みませんでした。
問題の本人も変わらない。

こんな人間関係は『地獄』だなと感じました。


 

会社と社会の仕事

私がやっていた仕事に関してですが、はっきり言って『人間がやる仕事ではない』ということです。

理由は『自動化されている仕事』だからです。
自動化している会社が他にあるのに、私がいた会社では"人がやっていました"

これがどう意味を生むのか?
"人だからこそのミス"が発生するのです。
私の会社では、そんなヒヤリハットが絶えない現状でした

問題が出ては対策を、問題が出ては対策を
その繰り返しでした。

その結果、"作業に神経をすり減らす"ようになっていきました。

ただでさえ、"人の命に関わる仕事"をしていたのです。
その重荷により神経をすり減らすことがあったのが、作業でもすり減らすことになりました
慎重な仕事が、慎重に慎重を重ねては更に慎重を重ねる仕事になりました。

頭が痛くなるほどの作業をやっていました。

でも、その原因は"人がやっている"からです。
更に他の会社では『自動化できている』実績付きです。
大きく改善しても良いだろうと思っていました

でも、変わることなんてありませんでした。
上司や部長に色々発言しました
でも、何一つ変わることなんてありませんでした

『でも』『それでも』『簡単ではない』
そんな言葉が帰ってくるばかりでした。

確かに簡単ではありません。
でも、一向に進む気配すらないのは、どうなのか?
そんな疑問ばかりでした

私はその会社に2年と半年いました。
でも、『人』から『機械』への変化は全くありませんでした
そして、人だからこそのミスを何回も見てきました
それらが、無くなることなんてありませんでした

むしろ"人がやるからこそ温かい"なんて言いました。
そんなことはこっちの都合でしかありません
患者にとっては、正確で的確な答えが一番です
他人の"温かい"にそこまでの価値はないです。
知っている人の"温かい"には価値はあります

別に問題が起きても修正ができるなら良いです。
でも、"人の命に修正"なんてありません

私は『仕事』に関しても不理解が付き纏っていました

会社が悪いのか?
それでも機能する社会が悪いのか?
それとも『自分』が間違っているのか?

私はわからなかった。



私は人なのか?

先輩や上司、部長にいろんな発言をした。
でも、変わることなんてなかった。
職場では"若いのに発言する人"としての広まりがあった
でも、それでも、変わることはなかった

仕事のために、仕事をしている人のために、"人の命"のために
私は行動した
でも、変わることなんてなかった。

そこから"一つ思ってしまった"

自分って『少数派』なのか‥
いや、一人だけだった。
私が間違っているのか‥

そんな思いでいっぱいになってしまった。

周りに合わせる』ことが正解で、それが絶対
自分の中にできた一つの存在

でも、世の中には不思議なことがあった。

『周りに合わせる』ことが正解である。
でも、『自分』を出すのが一番でもある。

そんな言葉の数かず。

私はわからなくなった。
今までそんな行動をしたのに、何も得られなかった。
言語化、説明力、それらが足りなかったのはわかっていた。
でも、全く通じることがなかった。

初めて『絶望』を知った。

絶望』をどう思うかは人それぞれだろう。
私の思う絶望とは"抜け出せない状況"です。
私は、自分の経験と世の中の事実から抜け出せなくなったのです。

『理解』と『不理解』の沼です。
私はそこから抜け出せなくなり、気づいた時には沼の中で身動きができなくなっったのです。

世の中の事実から分かった『理解』自分の経験からの『不理解』
この二つを混ぜてしまったのです。
別々として線引きしていればよかったのですが、混ぜてしまったのです。

理解という水

不理解という泥

この二つが混ざり、大きくなった沼を作ってしまった

私は気づかずに足を踏み入れてしまった。

私はこれが『沼』と思っていなかったのです。
気づいた時にはもう抜け出せない現状でした。

初めて『絶望』を感じました。
抜け出せない』ことです。
更に『恐怖』も感じることがなかったのです。
あったのは『終わり』というものでした。



ボロボロでも掴みたい未来

『絶望』でも、『未来』は知りたかった。

諦めたくなかった。

終わりにしたくなかった。

"これから"、"まだまだ"、そんな言葉の数々に自分は進んで行きたくなったのです
まだ完全に抜け出せていない

でも、少しでも出たい思いから『仕事をやめました

そこから半年間、借金をしてでも抜け出すための行動をしていました
でも、次の『絶望』が来ました。

『借金』という"沼"の『絶望』でした。

今まで大きな行動をしてこなかった
だからこそ、借金も初めてでした
経験してわかりました。

『借金』も沼だったことです。

『借金』で心を壊してしまう人がいるのは知っていました
それが、体験して改めてわかりました

せっかく『仕事』の沼からやっと出たのに、出るためにできた『借金』が新しい沼になるとは思わなかったのです。

『絶望』の次は『絶望』
本当に抜け出せない思いから、心が壊れそうな思いでした

でも、それでも、私には掴みたい未来がありました

今の私には大切な人がいます。
将来に結婚の約束もしています。
別に政治的や村的なことではありません。
互いに落ち着いたら結婚しようと話しました

こんな私でも信じてくれる人がいる。

だからこそ、泥まみれでも、這い上がろうときました
ボロボロになりながらでも、『掴んでやる』という意思で進んでいくことを決意しました



『私の視点』で沢山の人にキッカケを与えたい。

私は現在、ブログの他にYouTubeでの動画投稿もしています。
まだまだ、迷子な現状ですが、今改めて一つの形を出せました。
それが、正解なのか?成功なのか?なんてことはわかりません。

"正解"や"成功"というのは、築き上げるモノ。

私の視点での答えです。

だからこそ、まずは『自分を信じよう』と決めました
そして、自分の進みたいところに進むことに決意できました
今までは覚悟が出来なかったです。
『絶望』での恐怖が抜けなかったからです

でも、それでも、進むことを決められました

人生には沢山の視点があります

本や動画、音楽もその人の『視点』で形にしています
そして、『視点』を知ることで、よりコンテンツが"深く"読み取れるのです。

いろんな視点を知っては学びになりました
そして、悩みにもなりました
『自分にできるのか?』というモノです。
でも、覚悟を決めました

私は進んでいく。

私は私なりの『視点』で世の中を語ることにしました
私はもともと想像的に物事を考えることがあったのです。
だからこそ、"私なりの視点での想像性"を見せたくなったのです。
それで成功するとは限りません

もちろん失敗するかもしれないです。
でも、それ以上に『今度は理解ある失敗にする』思いで進んでいます。
もちろん"失敗する場合"の話です。

世の中には本当に沢山の可能性があります
人生を変えるキッカケも沢山あります
でも、多くの人はそれを見つけることができません

なぜか?

『自分の視点』だけで探しているからです
壁の向こう側に、"ソレ"があるとします
でも、ソレに気付くことができるのは、壁の向こう側の視点です。
『自分の視点』では壁しか見えない
だからこそ、『視点』をテーマにしたものを投稿したいと思いました

私が『絶望』という沼に入ったのも、抜け出せなくなったのも、『自分の視点』だけで判断してしまったからです。
世の中にある『理解』の視点がなかったのです。


そして、『絶望』から抜け出せるようになったのが、自分のもっていない『視点』です
借金という沼からはまだ抜け出せていないですが、それも含めて"人生を変える視点"を発信しようと決めました

私みたいに『絶望』で苦しみ抜け出せない人を増やしたくない
その思いで行動することに決めて、進みます

視点によっては、『絶望』という沼は"ただの沼"となる。
視点によっては、"ただの沼"に栄養土を足して"田"を作る
視点によっては、"田"を"体験場"として変えていく
視点によっては、"体験場"から"観光地化"させていく

まだまだ、コンテンツとしては不完全です。
でも、それでも、突き進んで見せます。

沢山の人に『視点』を届けたい。

『視点』は一つでは無いことを知ってもらいたい。

そして、そこから"新しい可能性"というキッカケを得て欲しいです

あなたにも『自分にとっての人生』を



最後に

私はnoteやYouTubeで発信しています。
もちろんまだまだ拙い人間です。

でも、だからこそ、ここまで読んでいただいた"あなた"に感謝しています

本当にありがとうございます。

まだまだな私の拙い記事をここまで読んでいただき、ありがとうございます。

ここまで読んだいただいた"あなた"のことも含めて、突き進んで見せます


最後の最後に

わたしの発信の場をのせておきます。
何かあれば、ここまで足を運んでくれるとありがたい限りです。

それよりも、ここまで読んでくれたあなたとも関わりたいという思いがあります
Twitterでも、instaでも、YouTubeで絡んでみませんか?

私は『視点』を持ってから、人との関わりにも"楽しさ"を得ることができました。
だからこそ、ここまで来てくれた方にも話してみたいのです

あくまでも、よければという話です。

さて、最後までお付き合い、誠にありがとうございました。
これからも私、イフをよろしくお願いします。
そして、"あなた"とも、これからもよろしくお願いします


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