東海道NOW&THEN 22 「岡部」
丸子から岡部まで2里9町。約9km。
名物のとろろ汁を我慢して先を急いだが、道を間違え1時間半のロス。取って返して国道1号線の道の駅「宇津ノ谷峠」を脇にみて、上り坂。間の宿・宇津ノ谷を通り、峠を上りきると岡部宿まで約3km。
宇津ノ谷の峠道を広重は描いている。薄暗い山中、きつい上り坂のそばを急流が流れる。この絵の道はほぼ中央で二股に分かれているように見えるところから、「蔦の細道」の追分を描いたとする説もある。もともと宇津ノ谷峠を越える道は「蔦の細道」。平安時代、在原業平の『伊勢物語』に登場し、後に歌枕として知られる道。その古い細道を豊臣秀吉が小田原攻めの折に自軍を通すためにさらに切り拓いたと言われ、それが後の東海道となる。
写真は、東海道と「蔦の細道」の追分。実は前日、前々日と2日続きの大雨で、私が歩いた日は晴れていたが、峠に差し掛かると足元はぬかるんでいて注意しないと滑りそう。小型の重機が入り、道を整備していた。写真の右にある茶色の小山は、重機が片付けた落ち葉の山。少し離れた所に渓流があるが、広重の絵のような構図での撮影は無理だった。
宇津ノ谷峠の登り口にある宇津ノ谷集落。元は間の宿・宇津ノ谷。ここには秀吉が小田原攻めのとき、蔦の細道を拡げるのに功績があったとして陣羽織を与えられた茶屋があり、「御羽織屋」として少し前までそれを展示していた。だが、私が通った時は閉館しており陣羽織を見ることはできなかった。
この集落を抜けると東海道は右へ折れるのだが、左には「明治のトンネル」がある。宇津ノ谷には「明治」「大正」「昭和」「平成」の4つのトンネルがあり、すべて現役なのだ。明治のトンネルが実に幻想的で面白いと聞いていた私は左へ。立て看板の地図を確認するとトンネルを抜けた先で東海道に合流することになっている。
明治のトンネルは天井に1列に並んだ電灯、馬蹄型に築かれた煉瓦、車1台がやっと通れるかどうか。一人で通り抜けるにはちょっとした勇気が必要かなと思えるほどの現代離れ。
さらに驚いたことに、トンネルを抜けたところに土砂崩れ。前述した大雨で峠道は数か所で土砂崩れがあった。先に進んで東海道に合流すると、小型の重機数台が道を整備していた。
宇津ノ谷峠を下りると、そこは岡部宿。中心にある大旅籠柏屋は歴史資料館として、人形などを使って当時の姿を再現している。その向かいには寛永年間創業の蔵元「初亀酒造」。生原酒が極めて美味でした。
宿場の西のはずれに「小野小町の姿見の橋」の標石。絶世の美女として名高い小野小町が晩年に東下りの折、ここを通りかかりふと橋の下を見下ろすと、水面に旅にやつれた自分の姿が映る。若かりし頃の面影が見る影もなく、年老いたわが身を嘆いたと伝えられる橋だ。
小野小町の姿見の橋を過ぎ、岩村藩と田中藩の領境の傍示石を見る。そこから次の藤枝宿までは約4km。
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