見出し画像

東海道NOW&THEN 6 「戸塚」

保土ヶ谷から戸塚へ2里9町。9kmとちょっと。

 広重の絵は橋の向こうに戸塚宿、橋の手前に「左かまくら」の道しるべ。神奈川県内、東海道の追分(分かれ道)の多くは左・鎌倉、右・大山。どちらも庶民信仰の対象の江島神社、大山阿夫利神社への参詣道。この絵の旅籠の軒に架かっている木札には「大山講中」の字が見えます。現在はこの吉田大橋を渡り、数百㍍でJR戸塚駅東口。西口駅前に本陣跡がふたつあり宿場の中心。

 その先、上方見附の手前に冨塚八幡宮。戸塚の地名の由来ともいわれる神社で、芭蕉の句碑がある。「鎌倉を生きて出でけむ初松魚」、相模湾でとれた初ガツオを生きているその日のうちに一気に江戸まで運んだそうだ。戸塚宿と日本橋の間は約50km。日本橋を夜明け前に発った旅人の最初の宿泊は、この戸塚宿だったという。一日に50kmを歩く江戸人たちは健脚。私が卒業した高校は、毎年11月初め、7~8時間かけて約50kmを歩く強歩大会をやっていました。それを思うと、半日で50kmは十分に歩ける距離なのかもしれません。

 戸塚を歩いていて、箱根駅伝の走者が広重の戸塚宿の絵の中を走っているマンホールの蓋を見つけ、川崎で見た同様のものを思い出しました。上方見附を出て少し行くと「お軽勘平戸塚山中道行の場」の石碑。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」中の美男・美女の不忠の果て、鎌倉から西へ向けての駆け落ち。もちろん歴史的事実ではなくフィクションです。それが石碑に…。

 「道行」の碑を過ぎてしばらくは国道1号線に合流し、藤沢へ向かいます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?