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東海道NOW&THEN 24 「島田」

藤枝から島田まで2里8町。約8.7km。

 日本橋から51番目の上青島の一里塚から島田宿の東見附までは4kmと少し。ほぼ平らかな道なので、天気がよければ1時間もかからない。

 大井川は駿河と遠江の境にある。川幅は12町、約1.3km。広重は、大井川を渡ろうとする大名行列をかなり上空から俯瞰した構図で描いている。広重の想像力。それぞれ肩車、蓮台、駕籠などで広い川を渡る行列の人々が渡り終えるまでどれくらいの時間がかかるのだろうか、そしてその間、岸で順を待つ一般庶民はさらにどれくらい待たされるのだろうかなどと余計なことを考えてしまう。
 写真は、大井川にかけられた橋を渡りながら撮ったもの。河川敷には広い駐車場があり、土手道から撮ると駐車場の写真になってしまう。ドローンでもあれば広重と同じ構図の写真が撮れたかなと思いつつ、せめて河原と川の流れは収めたいと思い橋上からの撮影になった。
 
 島田の東見附を入ってすぐに「蓬莱橋口」の表示。左に折れ東海道を外れて南へ行くと、約15分で「蓬莱橋」。全長897.4m、ギネスも認める世界最長の木造橋。今どき珍しい賃取橋。渡るのに大人100円、子ども10円の通行料が必要。『男はつらいよ!』をはじめ、映画のロケに何度も使われた。橋のたもとから見ると、対岸も含めて電柱や電線が見えない。それもあって時代劇のロケも数多い。最近はその長さ897.4mをヤクナシと読んで「厄無し」。パワースポットとしても人気があるのだとか。
 東海道へ戻り蓬莱橋口の少し先、右に「刀匠島田顕彰碑」。島田は室町時代から多くの刀鍛冶が住んでいて「島田鍛冶」と呼ばれていた。室町から江戸時代まで450年にわたって島田鍛冶は栄え、武将の多くに重宝されたという。

 西見附を出ると右に大善寺。大井川の渡しの開始と終了の鐘を毎日、明け六つ・暮れ六つに鳴らした寺。そこを過ぎると「大井川川越遺跡」。通し番号を付けられた番宿や札場、川会所などが並び、大井川川越の規模の大きさがうかがわれる。一説によれば、川越人足の数は島田と対岸の金谷宿あわせて1200人ともいわれている。
 江戸幕府は、大井川に橋を架けることや舟での渡しなどを禁じていた。江戸の防衛であり、駿河の城の外堀として考えていたらしい。橋が架けられたのは明治に入ってからで、初めに紹介した蓬莱橋もその一つ。

 大井川川越遺跡をあとにして橋を渡り、白波五人男の首領・日本左衛門の首塚を脇に見て大井川鉄道の踏切を越えると、金谷は目の前。ここまで約2.5km。30分。

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