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東海道NOW&THEN 14 「原」

沼津から原へ1里半。約6km。

 沼津を出て道は平らか、空が広がりのんびりとした風景が続く。東海道線の踏切を越えると原の東木戸口。江戸側の出入り口だ。宿場名の原は、東海道の北側にあった浮島沼と南の駿河湾の間が原であったことから付けられたという。この先の吉原、蒲原と合わせて「三原」と呼ばれていたそうだ。

 広重の絵は、宿場を西へ少し出たあたりから見た富士山の堂々とした姿。富士の右にあるのは、愛鷹山。実際に、このあたりかなという場所に立って写真を撮る。距離的には愛鷹山の方がずっと手前にあるので、存在感は富士に負けずどっしりと見える。が、広重の絵のいちばんの見どころは、絵の枠を突き破る迫力で描かれた富士。まさに「日本一のお山」を写し取り、絵を見る人にそれを伝えるかのようだ。

 原に入ると、まず目にするのが「白隠禅師誕生地」の石碑。宗教に疎い私にはピンときませんが、臨済宗の「中興の祖」、500年にひとりといわれるほどの名僧で「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山と白隠禅師」なのだそうだ。石碑の奥には産湯をつかった井戸がある。が、私にはそれよりも石碑の少し先、東海道線・原駅入口そばにある高嶋酒造が気になる。幕末の江戸無血開城の橋渡しをした山岡鉄舟が「白隠正宗」と命名した銘酒。とても美味でした。

 西木戸口を出てしばらく行くと「立圓寺」。ここには「望嶽碑」がある。尾張藩の侍医が参勤交代のたびにここで見る富士が最高であるとして、この碑を建てたのだとか。確かに、ここに限らず、原に入る少し前から富士がよく見える。原を出ても、そう。晴れていれば、富士とともに歩く東海道を実感。駿河の国を歩いている間、道中は富士を強く意識することになる。
 
次の吉原まで富士がお供をしてくれる。

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