東海道NOW&THEN 33 「白須賀」
新居から白須賀まで1里24町。約6.5km。
浜名旧街道の松並木を歩いて、潮見坂下まで小1時間。潮見坂はかなり急な上り坂、それを500mほど上ると「おんやど白須賀」。道行く人の休憩所であり白須賀宿の資料館だ。そこから白須賀宿の東見附までは、すぐ。
広重は潮見坂の合間に見える遠州灘、そして手前の坂を行く行列を描いている。潮見坂から見る遠州灘は、西から来た旅人にとって初めて目の当たりにする太平洋なのだとか。それゆえか、遠州灘を広々と遥か沖合まで描いている。だが、実際に潮見坂から遠州灘を見るには、上るときは海は真後ろにあたる。絵のように、坂を歩きながら、その向こうの海を眺めるというわけにはいかないのだ。写真は、潮見坂を上がりきった先にある「潮見坂公園」から遠州灘を眺めると、山の稜線が絵に似ているので撮った1枚。緑多い季節だったので、絵のように稜線がクリアではないのが残念。
「潮見坂公園」には、いくつか石碑が並んでいる。その一つが「明治天皇御遺跡地記念碑」。明治初年、遷都により東京へと向かう明治天皇がここで休憩。そのとき生まれて初めて広々とした太平洋をここで見たといわれる。
そこから500mほどで白須賀宿の東見附。そこには「曲尺手(かねんて)」と名付けられた桝形がある。宿場の桝形は大名行列が鉢合わせしないための工夫らしい。宿場から出る道が直進していると、反対側からくる行列と出くわすことがある。大名に格差があると、格下の大名は駕籠を降りてあいさつをせねばならず、さらに道を譲ることになる。そんなことになると、行列を差配する供頭はまさに切腹もの。そうならないために、まず斥候が桝形へ行き向こうを確かめる。もし行列が来ていれば、その紋所を見る。それが格上なら、急遽、休憩をとることにして近くの寺に駆け込み、格上の行列をやり過ごしたのだという。そんな役割が宿場の桝形にはあるそうだ。
宿内の本陣、脇本陣を通り過ぎると白須賀交番前の交差点。そこに右の矢印とともに「伊能忠敬測量地点」の表示。さっそく右へと曲がり寄り道。高台へと向かう。上りきって、さらに右へ入ると「伊能忠敬地図測量地点」の石碑。享和3年(1803年)3月28日と測量の日時が刻まれている。伊能忠敬が第4次測量の旅で駿河・尾張、そして関ヶ原を抜けて越前・越後、佐渡島を測量したとき、白須賀の本陣に泊った記録が残されているそうだ。
東海道へと戻ると、「火除地と火防樹」の表示。白須賀は冬になると西風が強く吹き、たびたび大火を出した。それを防ぐために宿内6カ所に土の壁が築かれ、その上に火に強いと言われる常緑樹のマキが植えられた、その跡だ。
その先に遠江・三河の中で最大級であったとされる庚申堂の跡。青面金剛の三猿、と思ったらなんと四匹の猿がいた。四匹目は何だろう…。
白須賀宿から、遠江と三河の国境にある境橋まで約20分。その先、国道1号線に合流して次の二川宿までは1時間半。
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