ポジティブに殺される

わたしは18歳までDV環境で育った。 

DVをしたのは親だけではない。
わたしの姉もまた暴力的だった。
後々に愛情の裏返しと告白されたが
そんなの今更言われても時既に遅し、である。

夫婦仲は悪く、いつも父の怒号が飛んでいた。
母は泣き叫び、父は我が子を意識が遠のくまで殴り続けた。

そんな環境で育ったことを
まさか不幸であるとは
思いもよらなかった。

ふと気づくと
普通に自分には価値がないと思っていたし
将来に希望などないのが当たり前、
それがわたしにとっての普通で
不幸などとは全く気づかなかったのだ。

とはいえ
悲しいという感情はあったので
小さい頃は『泣く』がベースだったのだが
12歳くらいにもなってくるとあまり泣かなくなった。

こういうものなのだと自覚したのだろうか。
ひょっとしたら
あきらめたのかもしれないが
もう覚えていない。

何らかの、集団の輪には入れなかったし
誰かと関わることに苦痛を感じてはいたので
いつもひとりだった。
その方が楽だった。

所々自分の中の何かに嫌悪感を抱き、
人前で食べることもできず、
笑うことも忍びなかった。
総じて
『冷めた人間になることによって自分を守る』
というルールを自分の中で築き上げていたと思う。
笑っても泣いても話しても
存在するというだけで
絡まれ、殴られるから。
何かルールでも持たないとやってられない。

『家庭とはこうだ』と一括りには出来ないものだが、
完璧でなくともきちんと父と母の愛情を受け
前向きに生きれば何事も乗り越えられるという教育を受け、
生きとし生けるものとして自然に育つことが
おそらくは『一般的』なのだろうし、『まとも』なのだろう。

そもそも
めちゃくちゃ明るくて可愛らしい同級生とわたしとは
別世界の人だと思っていたし
学校の季節イベントで必ずある
「頑張ろう!!」
の言葉は苦痛だった。

それでも親に気に入られようと
人知れず頑張ったものだけど。

大人になった今、
15歳から社会に出て揉まれた結果
ある程度柔和になったとは思う。

人間とは、
苦痛の中で生きるべきものではない。
ということは確実に学んだ。
笑ってもいいのだ。
人前で食べても怒られないことも知った。

だがしかし。

ポジティブとはなんだろう。
とも考えてしまう。
少し前まで流行っていた『自己肯定』
というものもまた苦手の類だ。


ーーーーーーーーーー
自己肯定とは
他人と比較するのではなく、ありのままの自分を認め
尊重し、自己価値を感じることができる心の状態
ーーーーーーーーーー

はい。それはできます。
そうだね、確かに悲惨だったな。

『尊重』

ん?

尊重?

ーーーーーーーーーー
尊重とは
人格や功績などが優れていると認め敬う
ーーーーーーーーーー

体の中がじゅいじゅいする。
自分が優れているとか、自画自賛的な言葉は
わたしにとって非常に馴染みが悪く、どこか不快だ。

潜在的にそう教えられたからかなのか、
謙虚さを美徳とするようになったのか
判断はつき兼ねる。

「わたしは偉い」
「わたしはすごい」
「わたしは可愛い」
「今日も頑張って偉い」

両親から
今日は頑張ったね
今日は偉かったね
なんて言われたことがない。

若い頃から働いて揉まれたせいからか

出来て当たり前。
出来なかったら、どうすればできるのかを死ぬほど考えろ。
今日得られた成果に関わらず絶対に傲るな。

こんな風に自分にいつも言い続けている。
これが通常運転の自分になっている。

友人「お前自己肯定感低いんだよ」
これよく言われるんです。

わたし「はい、その通り」
友人「高くしろよ」
わたし「へ?どうやって?」
友人「花とか空とか見るだろ、綺麗だなあって思うだろ」
わたし「思う」
友人「そういう自分を褒めるんだ」
わたし「意味不明wwww」

なになに
花が綺麗、空が綺麗って思えた自分て偉い、て?


わたしはお世辞にも良くない家庭に育った。
地盤はそうだけど
15歳から働いてきて、それなりに社会を学んで
自分の家庭が糞だとわかって、
ああ、残念だね。
って、事実を知っただけであって
別にわたしは何者でもない。

自分って偉い!
自分ってすごい!

それはわたしにとって
とても苦しいことなのだ。

何をしても
自分は偉い!
になるんだったら、
自分が知らずに間違ったことをして
勝手に自己肯定に陥って
自分は偉いとか自分はすごいとか
思ってしまう。

それは勘違いではないのか。
俯瞰で見ていたらそうはならないのではないか?

今の世の中
ひょっとしたらそうなりつつあるのではないだろうか。

わたしはいつも自分の行動がこれで本当に良かったのか
考えてしまう。
そういう人間なのです。
だって何が正しいのか、自分の評価と他人の評価は
違うものだから。

わたしは何も持ってない。
それでいい。
持ったらなんでも苦しいし、重い。
それが例え賛辞だったとしても。

多分今の時点である意味自己肯定はできてると思うんですよね。

ありのままの自分は認めてるから。
もうそれ以上はいらないんです。

自分の功績を称えるなんて必要ない。
自分を褒めるなんてとんでもない。

すごく
重たくて重たくて

そのポジティブに、
わたし殺されてしまうわ。

#創作大賞2023
#エッセイ部門








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