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雑記:11_マスクと文化について

以前コロナ・ピューリタニズムに関する記事を紹介した際に、次のような言葉でしめた。

 「手洗い、うがい、入浴の習慣、土足禁止、おしぼりの文化などはもしかしたら、先祖たちが獲得した倫理観として半ば無意識的に我々は受け入れているのかもしれません」

コロナ・ピューリタニズムとは、自分自身が感染しているつもりで、相手と触れ合いなさい、という倫理観のことだった。この倫理観が未来に継承されてしまうことを斎藤先生は危惧していた。それに対して私は、この倫理観は時代とともにアップデートされると考えた。

今朝たまたまYahooニュースで以上のような記事が取り上げられていた。スペイン風邪流行時に日本でマスク文化が生まれたことを紹介するものである。次のような記述がある。

「「マスクとうがい」「『テバナシ』に『セキ』をされては堪らない」といった感染予防を呼び掛けるポスターが出回った」
「スペインかぜの流行をきっかけに、日本人にとってマスクによる感染予防が習慣化していったとされる。」

やはり、日本における感染症予防に対する倫理観は過去から継承されていたと考えられる。もちろん、ここで注意しなければならないのは相手との親密さが罪となってしまうような倫理観が当時生まれていたかという点である。斎藤先生が恐れていたのは、他者との関係性が変容してしまうような倫理観が未来へ継承されてしまうことであった。

スペイン風邪流行時の政策や市民の倫理観についてはより詳しく調査する必要があることは間違いない。しかし、今回の記事ではさらに興味深い記述を見ることができる。

 「日本人は古くは神事の際に和紙などを口に挟んだり、江戸時代には頭巾や覆面をかぶったりと口を覆う行為には抵抗がなかった。近年では花粉症予防でマスクの着用が広く浸透している。今回の新型コロナでは、こうした文化を背景に感染拡大を抑えられたのかもしれない」

なぜ私たちの先祖は「口を覆う行為」に抵抗がなかったのだろうか。そして、それをなぜ「文化」と呼ぶことができるのだろうか。私たちは古代よりなんらかの倫理観をアップデートし続けてきた。それが、どのような倫理観だったのかということは検討する必要があるが、それらの倫理観は常にアップデートされ続け、私たちの生活に馴染んでいくということは間違いない。

以前はんこ文化について検討した際に、文化とは反復であると書いた。やはり、マスク文化についても同じことが言えると思う。口を覆うという行為が様々な場所で、原因で繰り返されることによりマスク文化として定着したのである。

ただ、最後気になったのは、「感染拡大を抑えられた」という記述である。これはまだわからない。緊急事態宣言や、ステップ◯◯のような名前ではなく、「コロナ週間」のようにコロナ対策を注意徹底する週が日本各地で生まれるかもしれない。




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