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流れてくる情報をさばく毎日(これでいいのか?)

noteをあんまり書かなくなったという投稿をしたばかりですが、同じくらい、誰かの素敵な記事を読むことも減ってしまいました。

良いものに出会いたい!掴みに行きたい!掘り出していきたい!という気合いがないんです。

最近、流れてくるものにただ反応するだけで毎日が終わっているような気がします。そんな自分の態度に危機感を覚えます。

なぜそのことに危機感を覚えるのでしょうか?

消費者意識

例えば、YouTubeではおすすめされている動画の中から気になるものをポチッと押すだけだし、インスタでも、ストーリーズはよく見るけれど、フィード(タイムライン)はあんまりチェックしなくなっています。

ストーリーズやTikTokで流れてきたものを、指先でピっとはじくときの、あの心のしぐさ・・・。

ときどき、仕事で出会う幼児期〜低学年の子どもたちの中にも、その"心のしぐさ"を見ることがあり、ドキッとします。

わかりやすくいえば、「出されたモノに対して、簡単にケチをつける」です。

授業中だったら、「めんどくさい」「やりたくない」などの文句を軽々と言って、回避しようとしたり、周りのテンションを下げてしまったりする子がいます。

わたしが参考にしているシュタイナー教育の観点では、14歳頃までの子どもには、自分のこだわり(好き・嫌い)を超えたところにある新たな世界と出会っていくこと、ど 苦手と感じるものにも辛抱強く付き合っていける偏見のなさを大事にしたいと考えます。

教師としてその背景を想像するに、親が子どもに主導権を握らせすぎているのではと思います。あとは、手足をつかって何かを生み出す体験(人に何かをやってあげて喜ばれたことなど)が希薄だったり・・・。

こういうのが積み重なって、小さい子がクレーマーみたいになってしまうのをもったいなく思います。本来は、小さなことを面白がり、喜べる感性があるはずなので。

まぁ、世の中がなんでも自動化する(眠らせる)方向に向かっているので、よっぽど意識していないと難しいことではあると思います。ご家庭だけの責任ではないですよね。

かく言うわたしだって、意識していないとすぐ、流れてくる情報にただ反応するだけの毎日になってしまいますから。

目を覚ますために

個人的な対策としては、

①提供する側であること ②手仕事をたしなむこと

を心がけたいと思います。

提供することで、生みの苦しみがわかる人になるため、背景を想いやれる人になるためです。

手仕事をすることで、頭の静けさを保つためです。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡