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Clubhouseな身体になって感じること

わたしの生活にClubhouseがやってきて早一週間。

はじめる前は「それって面白いのかしら」「noteでもういっぱいいっぱいだからな」などと躊躇していましたが、蓋を開けてみたらとっても面白くて大好きになりました!

ラジオ感覚でいろんな部屋をのぞく毎日です。

心なしか情報を受け取ったり発したりするときの身体感覚が変わってきたように思うので、超・個人的なことですが、新鮮なうちにあれこれ書き留めておきます。

生きた情報が欲しかったら、飛び込むこと

アーカイブされずに消えていくので、「いま・ここ」でしか聴けない・話せない感がものすごいです!

話す側としては気楽な面もあり、著名な方がばんばん相談に乗ってくれたり、講演前にダイジェスト版を語ってくれたりもしています。

(本来ならお金を払わないと得られない体験ですね)

お役立ち情報に限らず、素敵だなと思う方のゆる〜いおしゃべりからなんとなく「生きた」ものが伝わってくるのも心地よいです。

そんなこんなで自ずと鍛えられつつあるのが、迷ったらとりあえず飛び込んでみようというマインド。

飛び込んだ分だけ、名乗りをあげた分だけ、世界が広がるのを感じます。

知らないことの多さよ!!

世の中にはいろんな専門家がいるんだなぁ!とびっくりしました。

たとえば、漠然と興味を持っている「食」や「環境」のこと。ふらっと飛び込んで話を聴いてみると、自分よりもずっと多くの時間を割いて、真剣に取り組み、正しい情報を伝えるために工夫されている方々がたくさんいらっしゃることを肌で感じました。

わたし自身はざっくりと「教育」の人に分類されると思うのですが(自覚はかなり薄い)、いざ子育て・育児系の話題に入って聴いてみると、真の意味で同業者だと感じる人は今のところ少ないです。

同じ教育といっても、それだけ世の中にはいろんなものの見方があふれているんですね〜。

そういう意味では、じっと待っているだけでは仲間は見つからないし、自分の立場だからできる話をどんどんしたほうが面白くなりそうです◎

豊かになるコツがわかった気がする

Clubhouseは電話番号と実名(もしくは仕事名)で登録するので、ふつ〜に昔の知り合いに見つかることがあります。

招待制だったり、招待者の名前がずっと表示されていたり、名前の表示は一度きりしか変えられなかったり。

トークは「消えていく」けれど、わたしという人間についてはなかなか「取り消せない」し「ごまかせない」のです。

「自分は何も出さないし明かさないけど、なにかいいものください」ということが成り立たないというか、いろんな意味での透明さ、公平さ、誠実さが求められているような気がします。

あ〜、なんて水瓶座っぽいんだ!

逃げも隠れもせず、惜しみなくシェアするからこそ信頼される。だから、自然といい情報や人・ものが集まってくる。

もともと影響力を持っている方には当たり前のことなんでしょうけれど、
そうか!だから有名な人たちって豊かなんだな〜!と、ものすごくふに落ちました。

ただ自分でいることへの挑戦

わたしの場合、Facebook以外のSNSは半匿名でやっていて、微妙にキャラクターの使い分けがあったりします。Clubhouseをはじめたことで「そういうの、見られると恥ずかしいな」「どう思われるのかな」と最初はドキドキしましたが、

(あ、安心してください。見つかりたくない人は、ただSNSと連携しなければ大丈夫です◎)

なんかもうコソコソ・びくびくするのめんどくせ〜!という気になってきました。笑

そもそも、悪いことしていない(はず)なのに、何をコソコソしていたんだっけな?

恥ずかしい自分であることには変わりないけれど、ちょうど良く恥ずかしいまま生きる宣言もしたことですし。これを機にどんどん新時代の生き方に変えていこう!と思うのでした。

書きことばとどうつきあうか

生きた情報のすばらしさを体感したところで、さあ、書きことば(note)とどうやってつきあっていこうかな?と考えています。

わたしは毎日授業でストーリーテリングをしていますが、それが「読み聞かせ」ではなく「素話」なのは、やはりことばが「生きたもの」になるからです。教科書を使わないで授業をしているのも、同じ理由から。

じゃあ、書きことば死んでいてダメなのか?というと、それなりの役割や良さがきちんとあると思います。

この話は長くなってしまいそうなので・・・今回はここまでにして、またいつか別の記事として書きますね!

Clubhousenote、今後ともよろしくお願いします。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡