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ADHD(診断済み)がありますが、自分に生まれたこと、人との出会いに感謝して生きていき…

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ADHD(診断済み)がありますが、自分に生まれたこと、人との出会いに感謝して生きていきたいです😃🍀 動物、洋楽ロック、カラオケ、ラーメン、写真、シルバーアクセサリーが好き💖 https://stand.fm/channels/63439b828fc92d08ba9e1962

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傷付きやすくても大丈夫

傷付きやすい人は 「すぐにクヨクヨする自分がイヤ」 「小さなことに悩まない性格になれたらいいのに」 そんなふうに自分を責めているかも知れない でも傷付きやすいのは感受性が強いから 感受性が強いってことは 悲しみ、悔しさ、辛さを 人一倍感じやすい代わりに 喜び、楽しさ、嬉しさも 人一倍感じやすいんだって思う 感受性の強い人は 小さな感動を大きな感動のように 小さな幸せを大きな幸せのように 感じることも得意なんだよ それって素敵な才能だよね だから、そのままの自分でいい

    • ◯◯さんに出来るんだから、自分だって出来る!の罠

      子供の頃、親から言われたことはありませんか? 「◯◯ちゃんが出来るんだから、あなただって出来るはず」って。 これは、子供が何かやろうとする時に、親が子供が自信を持って始められるように(たぶん)、よく言うセリフかと思います。 「同じ人間なんだから、◯◯さんに出来てあなたに出来ないはずはない」という意味で。 それは大人になってからも、自分に対して同じことを言いがちです。 「あの人に出来て、私に出来ないはずはない」と。 確かに、自分が出来ないことが出来る人や、努力して何かを成

      • 過去の自分に戻らなくてもいい 今の自分のままでなくてもいい 常に新しい自分が待っているから

        • 夏空を突き抜けるタワー

          足を延ばして東山動植物園へ。 珍しい動物達がいて、全国的にも有名な所。 動物を見て楽しいのは勿論、この東山スカイタワーを見上げていると清々しい気持ちになる。 空の青、雲の白、葉っぱの緑が、威風堂々としたタワーをますます輝かせている。

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        傷付きやすくても大丈夫

        • ◯◯さんに出来るんだから、自分だって出来る!の罠

        • 過去の自分に戻らなくてもいい 今の自分のままでなくてもいい 常に新しい自分が待っているから

        • 夏空を突き抜けるタワー

          誰かが羨ましい時は

          人と自分を比べて嘆いても意味がない それぞれ持って生まれた環境 才能 1人1人が全て違う あの人は持っているけれど 自分は持っていない 自分は持っているけれど あの人は持っていない だから 自分に無いものを欲しがってばかりでは 気持ちが暗くなるだけ もし誰かと自分を比べるなら それはプラスの気持ちを持ちながらの時 「見習いたい」 「あの人を見ていると元気が出る」 「自分も頑張ろう」 誰かと自分を比べる時は 明るい気持ちで何かを学べる時だけにしよう

          誰かが羨ましい時は

          「そこそこ」って自分を救ってくれる言葉

          必ず こうでなくちゃならない 決めたとおりにしなくちゃ 思ったとおりの結果じゃなかったからダメだ そんな思いが自分を苦しめてきた でも ある日 思った 「そこそこ」でいいじゃない 決めたことが「そこそこ」実行できて イラッとすることがあっても「そこそこ」穏やかな気持ちで過ごせて 悩みがあっても他に「そこそこ」満足できることがいくつもあって 絶好調じゃないけど「そこそこ」やりたいことができて 特別なことしてなくても 休みの日が「そこそこ」楽しめて それで いいんじゃないかな

          「そこそこ」って自分を救ってくれる言葉

          幸せって消去法なのかも知れない

          幸せって 欲しいものを手に入れていくものだと思っていた 欲しいものを手に入れることが 幸せだと思っていた でも 本当に それだけなのかな 自分にとって 本当は大切じゃないもの たとえば 大切だと思いこんでいたけれど 実は それが自分の妨げになっていたもの それらを どんどん捨てていく ためらわずに どんどん捨てていって 残ったものが 実は本当の幸せだった そんなことも あるかも知れない

          幸せって消去法なのかも知れない

          努力と労り

          努力をしようとすると 自分を労れなくなることがある 自分を労ろうとすると 怠けてしまうことがある 努力しながら自分を労るって 実はバランスが難しい 頑張っているのは 本当に自分を幸せにするためなのかな 今 頑張っている時 本当に幸せに向かっていると思えるかな 常にそう問いかけながら進めば 自分を労わりながら頑張れるのかも

          努力と労り

          自分を守るもの 自分を幸せにするものは…

          親のせい 誰かのせい 環境のせい 誰かや何かのせいにすることってある 確かに それが上手くいかない理由の時もあるから でも 軽蔑する人 嫌いな人 忌まわしい環境のせいで 自分の人生が全て狂わされたなんて 考えるだけで悔しくない? だから 自分で自分を守る 自分で自分を幸せにする

          自分を守るもの 自分を幸せにするものは…

          全部を理解できなくてもいい 全部を解り合えなくてもいい

          家族や親しい友達 全部理解してもらおうなんて 思っちゃダメ 全部理解してあげようなんて 思わなくてもいい 違う人間なんだから どんなに大好きで 信頼できる人同士でも 解り合えなくて当たり前 大切なのは お互いに 解ってあげようとする気持ち だから 理解してもらえないことがあっても 理解してあげられないことがあっても それは仕方ない そう思って接していると 理解してもらえた時 理解してあげられた時 絆が より強くなる

          全部を理解できなくてもいい 全部を解り合えなくてもいい

          今、ここにいる自分を称賛しよう

          ヒナ鳥が卵の殻を破って出てくるのって かなりの体力を消耗すると聞いた サナギが羽化するのも 命がけだと聞いた 生物は命をかけて この世界に生まれてくるんだ そう考えると 今 ここにいるだけでも スゴいことなんだ 自分に自信が無くなった時 自分が無力だと感じた時 自分が命をかけて生まれてきたことを 思い出したい

          今、ここにいる自分を称賛しよう

          諦める勇気が次の一歩を踏み出せる

          「諦めるな」「立ち止まるな」 前に進むことが 美徳とされる 前に進むには 勇気がいるから 前に進むには 努力が必要だから でも 人生 諦めざるを得ない時もある 諦めることにも 勇気がいる 「自分には根性が無いんじゃないか」 「自分には努力が足りないからだ」 そんな自分を 責めなくてはいけないから でも 諦めることは 必ずしも敗北ではない これ以上進むことが危険な時 他に良いやり方が 見つかるかも知れない時 潔く諦めることが 前進に繋がることがある 諦める勇気を持てた時 諦める

          諦める勇気が次の一歩を踏み出せる

          幸せになりたかったら幸せに執着しない

          欲しいものは心の中で具体的に描くことが必要だと思っていた。 だから、幸せになりたければ幸せになった姿を思い描いて、それに向かって努力する。 今あること、あるものに感謝する。 それで幸せになれるはず。 そう信じていた。 結果 「かえって物事が上手くいかなくなった」 「ロクでもないことが起きた」 という事態になることが多かった。 そうなると、心穏やかに前向きに過ごしてたのに何故?と虚しくなる。 感謝しながらプラス思考でいると良いことが起こると信じていたのに、どうして反対のこと

          幸せになりたかったら幸せに執着しない

          スッキリ〜

          なんだか上手くいかない じゃあ こうやってみよう また別の問題が発生する それなら こうやって またまた別の問題が発生する 結局 どうやってもプラマイゼロ もういいや そんな時は 頑張らなくてもいいんだ なんだか スッキリした

          スッキリ〜

          季節はグラデーション

          桜が散って寂しいなぁと思っていたけれど、今はツツジやフジが咲いていたり、植物は次のメンバーにバトンタッチして私達を楽しませてくれる。 私は春から初夏が好きだ。 暑くも寒くもなく、重い服を脱いで体も心も軽やかになる季節。 昔から思っていたのだけれど、いつまで春で、いつから初夏なのだろう? 4月、5月などと、月の呼び方はあっても、実際の季節には境目があるようで無い。 同じ月でも暖かい日や寒い日があったり。 考えてみると、季節ってストライプみたいにクッキリとした境目が無くて

          季節はグラデーション

          「多様性」という言葉をよく聞く。 お互いの違いを認め尊重する…とても大切なこと。 でも「多様性」の勘違いも見られる。 我儘、ルールを無視する、それを「多様性」と呼ぶのは違う。 「多様性」とは本来、皆が暮らしやすい世の中にすることが目的なのだから、間違った方向に使われてはいけない。

          「多様性」という言葉をよく聞く。 お互いの違いを認め尊重する…とても大切なこと。 でも「多様性」の勘違いも見られる。 我儘、ルールを無視する、それを「多様性」と呼ぶのは違う。 「多様性」とは本来、皆が暮らしやすい世の中にすることが目的なのだから、間違った方向に使われてはいけない。