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2024.6.20 黒猫

部屋のカーテンの外の空が白み始める頃に、一晩居間で寂しがっていた家猫を一頻り撫で回し、それでも足らないようなので、抱き上げ、やはり苦手なようで猫は降りたがり、猫が飽きたのを見計らって、外に出た。
寝起きというものは時間の感覚が不確かなようで、煙草を吸いに外に出るともう朝焼けが始まっており、彼はもう長いこと眠れずに暮らしているので、その朝焼けには何も思わなかった。ただ、それは夕暮の赫ではない、というだけのことだった。
朝焼けの色を確かめるには家の裏が東であり、寝巻きのポケットを探ると昨晩の買い物かいつか分からない小銭が入っていたので、勿体無いのは承知で、東の方向の格安の自販機に、咥え煙草をしながら向かった。
途中、黒猫が通った。彼を見ると、特段驚きも警戒もせず、しかし牽制するような様子で後退り、方向を変えて向かいの家の庭に潜り込んだ。
その様子を数歩離れたところで立ち止まって見遣りながら、彼はその黒猫の耳に去勢の印が付いているのに気づいた。
あの黒猫を近所に見るようになって半年ほどだった。彼の生家の近くには県境の川が流れており、そこを基盤に地域猫が多かったが、今の家の近くには、最近の猫を室内で飼う傾向も相まって、地域猫は少なく、ただの野良猫が多いだけだった。
彼はあの黒猫を見ると、ある昼前の池袋駅でふと見た、人もまばらな広大な乗換通路を都度思い出す。それを見た時はいつかの初夏で、池袋駅までの電車で隣に座った中年の女が、日夜の疲れで体の重心を隣に座る彼に預けていた。彼はそれを受け入れるも隣に押し返すも面倒でそのままにしていたが、そうするだけで中年の粘りついた重みが初夏の女の右腕の熱から伝わってくるようで、疲れた。満員電車に長く乗ってきて、乗り込む度に思い出す、この全員に体温と自己否定と自己肯定とその繰り返しがあるのだ、という当たり前の事実に驚愕した十四歳の春について思った。その後でふと池袋駅の階段から階段を目指している時に目に入ったその人のまばらな広大な通路は、適当なテナントもまだ閉まっていて、蛍光灯の白が照らしているのに、どこか薄暗く、それに彼は自分の平生の後ろめたさを重ねた。普段は混雑で目に入らないだけだった。そして、池袋など、実にそのような街だった。
黒猫が去った後に、格安自販機で、ワンダのモーニングショットを百円で買った。歩きながらプルタブを開ける段になって、朝焼けが薄まり、吸い切りそうな煙草を揉み消して、そのまま気にせずにポケットに入れた。
東に向かったその反対に歩き始めて、今日は晴れるのだろう、と思った。気圧が高い。寝ている間に抜けたニコチンを入れるようにもう一本に火をつける。
以前に会った男に、酒が回ったのか彼は少し低く甘えた声を出して、どうにも梅雨の時期は良くないね、と言うと、その男は、まあ耐え忍ぶしかないよ、しかし今年の梅雨は短いらしい、と返した。
梅雨の時期がどうにも苦手なのは十四歳の六月からだ、と彼は結論づけてはいるが、その要因は不確かなものがいくつも関連づいて出来たものらしく、二十代になっても変わらず、塞ぎ込む。
情けない、と思いながらも、人に会えば未だに十四歳のようなことを口走っている。それか冗談か嘘か。元々一人で誰とも話さない方が得意な人間なのでそれならば無口でいようと思うが、手前の弱さでそうもいられない。それについては十代の頃は潔癖があったが、今ではもうどうでもいい。
二十になった頃は十代の何かを通り抜けてさっぱりしたような清潔さがあったようだが、それも無責任なうちのことで、数年も過ぎて懸命に過剰な加害者意識からくる責任感に身を費やしていては、腹も立つようになり、そしてそれに疲れ始めて、景色が色の抜いた写真のように、しかしピントは全てに合っているような様子で、映る。
家の前に着いて、彼は夜更け前から来ていた連絡に目を通し、しかし返しはしないで、灰皿に吸い殻を入れた。
玄関のドアを開けた時に、ふと浮かぶ顔があって、もう少ししたら連絡でもしてみようか、と気まぐれなことを思って、しかし気まぐれが起きないようにも生活しているな、これでは孤独も生活習慣というか癖のようなものだ、とも思った。
居間にいた家猫は、もう人の起きる時間だと知った顔で、こっちを見遣り、適当に撫で回すと、どこかに行った。
顔でも洗うかと鏡の前に立つと、その目つきが、かつての鋭さも何もなく、ただ濁っているように見えた。
彼はその目を真っ直ぐに見つめながら、これから来る梅雨と、その先にどうしようもなく訪れる喧騒の中の出来事たち、そしてその時に彼に吹く東京の熱風のことを思った。くだらない毎年の繰り返しは、螺旋状の階段を登るでなく降りている、とも思う。

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