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ヒトの社会は「人間中心主義」で動いている

ヒトの役に立つ仕事がしたい

そんなことを考えながら今の仕事を選んだ読者の皆様もいらっしゃるかもしれません。

でも、大丈夫~すべての仕事は誰かの役に立っていますから。

仕事を行い、その対価として金銭をもらう。

なぜ金銭をもらうことができるのか?

それは、「金銭支払うに値する仕事」≒「支払い側のヒトの役に立つ仕事」を行ったからですね。

ですから、ほとんどの仕事は、それが仕事として成り立っている限りに於いて、ヒトの役に立っていると言えそうです。

逆に、「ヒトの役に立たないこと」は仕事として成り立つでしょうか?

おそらくは、対価を得ることは、なかなかムズカシイのではないでしょうか。

ただし、直接的には、ヒトの役立たないことでも、「ヒトの心を満たすこと」≒「ヒトが満足すること」に対しては、直接的に役立つことが無くても、その対価が支払われることがあります。

たとえば、「芸術」。

芸術を鑑賞し、ヒトが満足した場合、その対価を支払うことは、多くのヒトが行うことではないでしょうか。

筆者は、ヒトはその種を維持するための本能的なもののせいか、ヒトを尊重するようにできていると感じています。

「ヒトのため」というキーワードは、ヒト以外のあらゆる存在を毀損したとしてもある程度のことは許容される世の中を生み出してきたように感じております。

ヒトのためであれば、環境負荷をかけても仕方がない。

ヒトのためであれば、ヒト以外の生物に犠牲を払っていただいても仕方がない。

ヒトのためであれば、・・・

たしかに、「ヒトのため」という魔法の言葉は、あらゆることを正当化することに使われてきたように感じます。

このような、「ヒトのため」ならあらゆることが許容される考え方を筆者は「人間中心主義」と呼んでおります。

また、ヒトは自分にプラスに働くことをしてくれたヒトに対して感謝の反応を示してくれます。これは大変に気持ちの良いことです。

ヒト以外の存在は、その存在のために何かのアクションを起こしても、直接的に感謝の反応は示してくれませんね。

ただし、「ヒトのため」が、いつしか「自分のため」という自己中心的な考え方に向かうヒトもそれなりにいるように筆者は感じております。

自分のため

自分と同じ考え・思想を持つヒトのため

でも、筆者は視野を広げた考え方を持ちたいと常々思っております。

少しずつ広げていくと・・・

自分のため

自分と周囲の皆様のため

自国のため

地球人類のため

生きとし生けるモノの全てのため

生物・無生物にかかわらず、地球上のあらゆる存在のため

宇宙全体のため

存在するものしないものあらゆるもののため

思考・空想の世界では、尊重する・敬意を払う対象を拡大することは簡単にできます。

しかしながら、ヒトは神にはなれません。

現実世界では、ヒト以外のあらゆる存在に「敬意を払う」≒「リスペクトする」ことは、なかなかムズカシイことは筆者も自覚しております。

それでも、行き過ぎた「人間中心主義」の社会は、その持続可能性において、限界が訪れようとしていることは、人類皆が薄々気づかされてきたことではないでしょうか?

その一つが気候変動等の環境問題でしょうか。

ヒトが快適に文明社会を謳歌するために、相当程度自然環境に負荷を強いてきたことは、多くのヒトが認識しつつある状況かと想像いたします。

人類70億人。そのすべてが、2020年現在の日本に住む人々と同様の文明社会を享受することは果たして可能なのか?

筆者は、「人間中心主義」の最たる現場である「病院」で働いております。

医療現場は、ヒトである患者の皆様を中心に動くことが重要な場所ですから、これは当たり前のことかと思います。

「人間中心主義」は、別に「悪いこと・間違ったこと」というわけではありません。

自分が「人間」である以上、人間中心にモノゴトを考え・行動することは、大変心地よく感じることは疑いの余地が無いからです。

しかしながら、行き過ぎた「人間中心主義」はよろしくないのではないかと考えています。

では、どうすればいいか?

筆者は、ヒトがあらゆるモノゴトに対してほんのちょっと「ガマン」をすることが大変重要なのではないかと考えております。

たとえば空調。設定温度を夏場は、ほんのちょっと高めにする。冬はほんのちょっと低めにする。

目的地に向かう際に、環境負荷の少ない移動手段を意識して選択する。

あらゆる人間社会の便利さ・快適さを少しずつ「ガマン」すること。

この「ガマン」の積み重ねが、持続可能なヒトの社会へとつながるのではないかと想像しております。

本日は、「人間中心主義」そして、その先の「環境問題」のお話しでした。

あらゆる存在に敬意を払う・リスペクトすること。

そのために、「ヒトの社会は『人間中心主義』で動いている」ことを認識し、行動することが重要なのではないかと筆者は考えております。











おまけ

「人間中心主義」について、お話しする際に、過去には「ヒトと自然の『調和』が重要」という考え方をされる方々もいらっしゃったようです。

しかしながら、筆者は「調和」ということばが、具体性に欠けると考えるため、ヒトの側が自然に対して「ガマン」をするという表現にいたしました。

筆者は、まだこの「人間中心主義」に対して、十分な検討を重ねているとは言い難い状況です。

これからも、考えを重ねていきたいと思います。





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