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自己紹介③ *高校時代〜上京へ

JK時代は楽しかった。ちょうどルーズソックスやポケベルが流行り始めた頃で、例外なく流行りに乗っかってみたりもした。気の合う友達と日々面白いことを探しながら、いつも笑い合っていた。
憧れていた軽音楽部で念願のドラムデビューも果たしたが、顧問の先生はもちろん素人で、教えてくれる先輩もまた素人なので、自分で向上心をもってやっていくしかないんだなと気付くまでにはそんなに時間はかからなかった。要するに完全お遊び感覚の軽音楽部だったのだ。ミスチルやB'zやスピッツなど巷に溢れる楽曲を適当に練習して学園祭で披露したりしては「ドラムうまいねー」なんて言われてどんどん調子に乗っていくのである。

附属の高校だったので、上の大学にそのまま進学を希望する子が大半の中、私は進路を決める段階で自分が女子大生になることにこれっぽっちも魅力を感じなくて、「大学で学びたい事は何もない!私は音楽をもっと学びたいんだ!」と頑なになってしまった。高3の時の担任の先生に何度めかの進路相談でそんな話をすると、「何を言ってるんだこの子は!」と言わんばかりの雰囲気で、でも私の将来を見据え真剣に困ったような表情をしていたのは記憶に残っている。
後日、先生が関東にある音楽の専門学校のパンフレットを持ってきてくれた。そこはオーディションがあってそれに合格しないと入学させてもらえないので、本気で音楽をやりたいならまず両親を説得してオーディションを受けてみる?って。きっといろいろ探してくれて、私の可能性と、本気度を探っていたんだろうな。
当時、姉も兄もすでに実家を出ていたので私は実家を出る事は考えていなかった。私までいなくなったら両親はきっと寂しいだろうなと、案の定、叔母さんからはダイレクトにそうやって言われたけど、その時叔父さんが「そんなの気にする事ない!」と言ってくれた。あの時一人でもそうやって背中を押してくれる人が身内にいたから決断出来たんだよな。私は母に思いを伝え、オーディションを受けるためにドラム教室に通わせてもらい、毎朝少し早めに学校へ行っては一人闇雲にドラムの練習をしていた。結構な音量でドラムの音が鳴り響く中を登校しなければならなかった当時の生徒達を思うと、私はなんて小っ恥ずかしいJK生だったのだろうかと、あの時の自分に言ってやりたい。いつの間にか離れていった友達もいたけど、でも学校中の先生も含めてみんな温かく見守ってくれていたような気がする。私に上京することを提案してくれた高3の時の担任J子先生とは、今でも年賀状で近況を報告している。

オーディションは夏と冬に2回あり、夏では合格できずに、冬でやっと合格をもらえたんだけど、その時に出会ったドラムの先生が後の私の最初の師匠となるお方で、最終面接で言われた言葉は今でも鮮明に覚えている。

 先生 「アイちゃん、自分の今のレベルはどれくらいだと思ってる?」
 私  「ええっと・・」
 先生 「一番下のレベルね (ニヤニヤ) 」
 私  「!!!?」

厳しくもやさしさ溢れる師匠との2年間は、強烈な言葉とともに始まった。


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