気になるコトバ⑤ーーー助詞「を」の使いすぎ
私たち、普段の会話では「名詞(体言)+する(サ変)」という使い方をごく普通にしていいます。「会話する」「面会する」「依頼する」「電話する」etc.
2020年はコロナ禍のせいか、在宅勤務が増えたせいか、歳のせいか、ニュースを観る機会が多くなって、政治家、自治体の首長の会見やインタビューを見ることが多くなりました。
そこで気になったのが、助詞「を」を使いすぎなのではないか、ということなんですね。
前述の例で言えば「会話をする」「面会をする」「依頼をする」「電話をする」となります。他にも「お願いをする」とか。ね、煩いでしょう。
助詞「を」は格助詞の一つで、連用修飾語をつくります。「 水 を 飲む。(対象)」「横断歩道 を 渡る。(場所)」「自宅 を 出る。(起点)」など。文法的にはこのとおり。
いま私が気になるのは、なくてもすむ「を」を使いすぎなのではないか、ということ。つまり「名詞(体言)+する(サ変)」の用法では「を」は必要ない、ということです。
もちろん、「を」が入っても間違いではない。でも、上述のように煩いでしょう。しかも、ふだんの会話ではみな(おそらく)「を」を入れていない(はず)。政治家とか官僚とか自治体の首長などが、会見などの公的な場で話すときに、「を」を使いすぎる傾向があるようです。
「自粛のお願いをいたしたいと存じます」。なかには「自粛を、をー、お願いを、をー、いたしたいと、をー、存じます」なんて話す人もいる。これなどは「自粛をお願いいたします」でいいじゃないですかね。
ちょっと話がずれますけれども、どうやら「内容の薄いことを、さも中身があるように話す」ときに、「ていねいすぎる(=慇懃無礼)」言葉遣いになるようです。で、その「ていねい」(のように聞こえることを期待する)話法のひとつとして「をを多様する」話し方が流行りはじめたのではないでしょうか。
ほら、幼児に諭すようなときに、音節を区切って、ゆっくり話す話し方があるでしょう。あれと同じで、ゆっくりと言って聞かせるような話し方の時に、音節をつなぐ役割として「を」が使われがちなのでしょう。「いま、私は大事なことを話しているのだから、耳をかっぽじってよく聞きなさいよ」というニュアンスを暗にこめているのですね。
また、それとはうらはらの気持ちとして「言葉尻をとられないように慎重に話そう」という気持ちもあると思われます。つまり、突っ込まれないように話そう、ということですね。なので、ちかごろは、いわゆるぶら下がりの会見でさえ原稿棒読みの人がいますよね。むしろ、原稿では「を」の多用の傾向はそれほどでもないようで、一問一答形式の会話になると「を」が多くなるようです。
以上なような心理的背景をもった「を」の多用。めくじらをたてるほどのことではないのかもしれません。だけれども、あんまりやると、人間的にも空疎な印象を与えてしまうことにもなりかねないので、ほどほどがよろしいと思います。
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